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地平線に舞い降りる一枚の「ことのは」119 movies[投票(40)]
「コメンテーターがコメンテーター(とコメント)について語る」のは、オイラの美学に反する。だが、職業柄、ことばについて彼是考えることが多く、皆様のコメントreviewを読んで、<映画と我>との対話の先にある《地平線》に舞い降りた「ことのは(言の葉)」の美しさ、巧みさ、素晴らしさに、投票だけでなく、感謝と尊敬と嫉妬の念を表明したくてウズウズする今日この頃。そこで、僭越ながら、■A:これぞ詩だ!ステキシテキ(素的&詩的)だ!●B:これぞ映画を語るフヘン(普遍&不変)のことばだ!●C:これぞキャッチコピーだ!作品世界を的確に短いことばで捉えてる!宣伝部は弟子入りすべし!●D:これぞすべてを語るフヘン(普遍&不変)のことばだ!名言集だ!●E:これぞアイデアだ!オリジナリティーだ!ユーモアだ!お〜い、山田ク〜ン!●F:これぞオイラがこの映画で言いたかったことだ!ありがとうっ!(キ〜っ、クヤシ〜っ!オイラが書いたことにしてくれっ!)●G:単独のコメントによる複数のレベル●H:複数のコメントによる複数のレベル■まだまだ増えます。随時追加更新
ウディ・アレンも選んだ、それぞれの「映画史上最高の10本」36 movies[投票(15)]
「映画史上最高の10本は何か?」―この究極のテーマに答えるべく、1952年に「Cinematheque Belgique誌」が世界中の100人の映画監督にこの質問をぶつけてみた。すると、ルイス・ブニュエルをはじめオーソン・ウェルズまで9ヶ国から63人からの回答があった。(A)はそのベスト20●同じ質問をイギリスの「Sight&Sound誌」が批評家と監督に送りはじめた。(B)は1992年度批評家が選んだベスト20●(C)はウディ・アレン選出ベスト10●D:(A)(B)(C)重複●E:(A)(B)●F( A)(C)●G:(B)(C)■未登録作品→A:キング・ヴィダー監督『ハレルヤ!』(29)/G・W・パブスト監督『三文オペラ』(31)/エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督『愚かなる妻』(21)
pentimento-どっちを観るか、それが問題だ48 movies[投票(16)]
巷に氾濫する「ディレクターズ・カット版(以下、DC版)」。<同じ映画>なのか、<違う映画>なのか。シネスケでは、一応<同じ>と判断されている。しかし、やっぱりレンタルビデオ屋では悩むのだ。そこで!■A:ビデオはDC版しかないらしい。違いは不明●B:リバイバル公開時に少しいじられたくらいらしい●C:同じ観るなら、DC版という意見が多い●D:賛否両論●E:全く違う作品、あるいは変形●F:『アタラント号』のためのレベル(くたーさんに助けてもらいたいデス)●G:同じ観るなら、オリジナルという意見が多い●H:違うことは違うらしいが、詳細不明■一言コメント欄にはDC版のサブ・タイトルと、わかる範囲の変更箇所を記載■ご参考までに
rainbow screen-虹色の画面に現れる「顔のない顔」116 movies[投票(7)]
映画におけるホモセクシャリティー性、その在り方■A:同性愛・同性愛者が主題・主役●B:―がある程度関連する、主要登場人物●C:「クローゼット」に閉じ込められた―■
ヘミングウェイ、カーヴァー、或いはポー的映画、小宇宙と断片 -omnibus films-63 movies[投票(7)]
フィリップ・K・ディックの名前も入れたかった、オムニバス映画作品群。レベルBにはその変型を収録。尚、シリーズものはパート1のみ■
映画における「語り手」の介入 -narrators-42 movies[投票(4)]
語り手(narrator)が存在する映画。叙述・狂言回しは、小説では勿論、物語性成立の基本的且つ主要な構成要素であるため、トーキー以降後も多く採用される手法である。特に個人的に印象的な語りと感じた作品を取り上げる■A:全知の語り手(omniscient narrator)=物語に対して客観的な立場を取り得る「外」の人物による語り●B:自意識過剰な語り手(self-conscious narrator)=物語の中心人物による主観的な立場を取る、「内」の人物による語り●C:介入する限定的な全知の語り手(instrusive "limited-omniscient" narrator)=AとBの中間的で「内」にいるが、やや客観的な立場を取り得る人物による語り■
メタフィルム≒虚構の暴露、そして映画の中<映画> -metafilms-26 movies[投票(3)]
メタフィクション(metafiction):「物語を実際の出来事として叙述するのではなく、その虚構性や、作者の役割や書く手法といった伝統的な小説の枠組みそのものが意識的に強調され、主題となっているフィクション」■この定義を映画に適用し、A:「これは映画ですよ」と(意識的に)観客に語りかける作品、もしくは語りかけはないが、映画という表現形式及び形態を意図的に見せていると思われる作品●B:映画の中に劇中劇として映画が存在する作品●C:ラストにメタフィクション表現が登場する作品、の3つに分類■注意:Cは多分にネタバレ要素を含むので、特に興味のある方以外はご覧にならない方がいいでしょう■
悪女の系譜 -femme fatales-51 movies[投票(9)]
マリ子の部屋へ〜電話をか〜けて〜♪いわゆる「悪女」ってどんな女性だろう?辞書では「タチの悪い女」「容貌の悪い女」の二つを挙げるが、個人的に「悪女」とか「宿命の女"femme fatale"」って響きに惹かれるゾ。君も騙されないように君も映画で勉強しよう!■A:雄々しく戦う女の美(ジーナ・ローランズ系)●B:雄々しく謀る女の美(ジョーン・クロフォード系)●C:雄々しく敗れる・敗れた女の美(ベティ・デイヴィス系)と分類したが、重なるものが多く、直感的に決めた。<A→C>の順で<恰好良い→あはれかな>って感覚カナ■
トムとハックの子どもたち、あるいは通過儀礼物語、そしてビルドゥングスロマン50 movies[投票(5)]
主人公及び主人公率いる仲間たちが、様々な事件を経験し、人間的成長を遂げ、ラストにカタルシスのある作品群。ラストに訪れる爽快感と共に、今は失われた歓喜の声に耳を傾け、胸をえぐられたし。レベルは、主人公が乗り越えねばならぬ儀礼の難易度、ハードルの高さ。シリーズ物とリメイクは、それぞれパート1及びオリジナルのみ登録■
「表現の自由」における性、暴力、ことば -expression: regulate-34 movies[投票(6)]
映画におけるある描写・表現について、規制する<力>とは何か?また規制されない<力>とは何か?「A:性」「B:暴力」「C:ことば」の三つの観点において、その描写・表現が、世間に様々な物議を醸し出した作品群。いくつかは裁判沙汰にも発展した■
原書に挑戦 -fight the English originals-62 movies[投票(20)]
映画を見て、原作を読んでみたいと思われる方は多いと思うし、できるなら原書に挑戦してみたい方も少なくないと思います。そこで、僭越ながら、今まで僕が読んだ原書で映画化されたもの、もしくは僕の友人、大学の英米文学教授が推薦する作品で、大手書店なら比較的入手が容易かつ、英米文学界では有名どころを集めてみました■A:入門者向け。高校卒業程度の英語力(英検2級前後)で読解可能で、物語世界が比較的受け入れやすいと思われる。児童文学やヘミングウェイ、カーヴァーなどはこの類●B:中級者向け。大学英語レベル(〜英検準1級前後)で読解可能。英米文学専攻ならば読めて当然?キングの長編やいわゆる人気作家などはこの類●C:上級者向け。英語もかなり手強くネイティヴでも梃子摺るほどだが、それよりも物語内容構成が難解で、また別の能力を要する。僕の場合は大体"積ん読"化。フォークナーやピンチョンがこの類■尚、レベルはかなり主観的なので、責任は負いかねます■大きなお世話メモは英文コメント欄へ
キネジュン婆の選択-洋画編-73 movies[投票(7)]
1924年から2003年まで『キネマ旬報』で年間ベスト1に選出された全洋画作品■
きねじゅん爺の選択-邦画編-70 movies[投票(5)]
1926年から2003年まで『キネマ旬報』で年間ベスト1に選出された全邦画作品■