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木魚のおとさんのお気に入りPOV

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売りまくった男・角川春樹の仕事1975年、初めて邦画と洋画の配給収入の比率が逆転。洋高邦低時代が始まった。翌76年、大島渚がフランス資本で『愛のコリーダ』を撮り、黒澤明のソ連映画『デルス・ウザーラ』がアカデミー外国映画賞を獲得したその年、角川春樹プロデューサーが映画製作にのりだす。弱冠34歳にして、角川書店社長。彼は本を売りたかっただけなのだ。映画がヒットすれば本が売れる。それは『ある愛の詩』や『ジャッカルの日』で経験済みであった。映画を製作して大量の宣伝費は出版側でまかなう。彼の生み出したビジネスモデルは、70年代中期から80年代の社会現象として出版界のみならず映画界、音楽界をも席巻する。文庫本商法を確立し、制作本数の減ったベテラン撮影所監督や新人・若手監督に仕事の場を提供し、そのテーマ曲を誰もが一度は耳にすることになる。当時「たかが本屋の映画」と斜に構えていた映画少年の君も、文庫本片手に封切り日に列を作ったミーハー中学生のあなたも、角川春樹の洗礼を受けたはずである。売りまくった男の功罪は・・・・★本が売れた人 ●仕事にありつけた監督 ♪レコードが売れた人ぽんしゅう
若尾文子〜美は乱調にあり1990年、フランスの「ナント映画際」で「若尾特集」が催された時、ゲストとして招かれた若尾文子は、当地の人々の余りの歓迎振りに「ただ呆然とした」という。なぜなら、日本での彼女は(一部の評論家&マニアを除いて)ほとんど忘れられた存在であったからだ。それから10年後、埋もれかけた若尾文子は本国でも発見される。単なる「女優」としてではなく、今後益々「リアル」になっていく「女」の一人として。そしてまた、現代にあって本当に「肯定できるもの」を捜し求める一人の「人間」として。そんな彼女への「感謝」の気持ちを込めたささやかなPOV。ABCは映画の出来ではなく、スクリーン上における彼女の存在感&魅力に対する評価です。若尾好き