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私事で恐縮ですが、先日来、俄かに訪れた第三次牧野信一ブームの直中にあり、本格的に書籍の蒐集を図りたいと念願を抱いたものの、どう算盤を弾いても全集(人文書院版にせよ筑摩書房版にせよ)を贖う入費の工面に目途が立たず、勢い鬱屈苦悶の度は深まって酒代が嵩み、身辺の物品に当たり散らした挙句の修理修繕の払いが家計にクリチカル・ヒットを与える運びと相成って「破産か?」貧すれば鈍するとはよく云ったものでございます。
[参加掲示板] [招待者: 林田乃丞]
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最近のコメント 10
★4ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち(2016/米)むろんのこと、その作品歴のパブリック・イメージには含まれないだろうアクションの演出にかけてもティム・バートンは黒帯持ちの実力者である。『マーズ・アタック!』以上にハリーハウゼナイズされた骸骨兵団の戦闘は、演出の趣味性と職人性がよく両立して高度に視覚的なカットを繰り出した佳シーンだ。 [review][投票]
★4哭声 コクソン(2016/韓国=米)撮影者の交代が功を奏したのか、カメラを三脚に据えることを覚えたナ・ホンジンの第三作は、長尺化症候群の悪化をものともせずに馬鹿馬鹿しくパワフルだ。例の祈祷合戦シーンを筆頭に、光景は妥当性の裏付けを意図的に欠いたまま奇態の度ばかりが右肩上がりに増してゆく。まったく横紙破りの筆圧である。 [review][投票(2)]
★4テイク・シェルター(2011/米)ジェフ・ニコルズの『生きものの記録』。シェルター増設に伴う作業や金策を詳らかに描く脚本・演出が正しく、「粘性を帯びた黄色い雨」といった凶兆の細部選択も冴えている。「狂気の遺伝への怯え」も(たとえば文学者の伝記では馴染み深いが)映画の作中人物においては迫り甲斐のある珍かな心理成分だ。[投票(1)]
★5未来よ こんにちは(2016/仏=独)ごく単純な事実の指摘に過ぎないが、全篇にわたってイザベル・ユペールは忙しなく動き続ける。彼女にはおとなしく映画を鑑賞することすら許されない(『トスカーナの贋作』!)。少数の例外に留まる「佇む」「座る」「横たわる」も(楽譜における休符のように)「動く」の一形態として演じられるだろう。 [review][投票(1)]
★4ピアノ・ブルース(2003/米)まったくもって端的かつ正確な標題だが、しかし、たといジャズを主としたクリント・イーストウッドの音楽愛好ぶりを知らなかったとしても、ブルーズとジャズにほとんど区別を認めないこの映画を一目するだけで、イーストウッドの関心の第一が「ブルーズ」ではなく「ピアノ」にあることは明々白々だろう。 [review][投票(3)]
★4お嬢さん(2016/韓国)トビー・フーパー塚本晋也、あるいは楳図かずお先生や伊藤潤二先生の漫画が瞭らかにしているように)原理的にはワンカットに並存できるはずの「恐怖」と「笑い」が、パク・チャヌクにあってはトレードオフにあるようだ。むろんその性分は憎めないが、面白さの最大化にとっては決定的な障碍でもある。 [review][投票(4)]
★4ルック・オブ・サイレンス(2014/デンマーク=インドネシア=ノルウェー=フィンランド=英)ドキュメンタリ映画でさえ作為の産物でしかありえないことを半笑いで誤魔化そうとした『アクト・オブ・キリング』よりも真摯だ。身じろぎしないカメラのフレーミング意識(複数の被写体、見る主体と見られる対象を同一フレームに収めるか否か)が「スター」映画だった前作以上の顔面力を引き出している。[投票]
★3グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子(2013/仏)失業の思わぬ効能が謳われており、被リストラ者の諸氏は勇気と希望を授かるだろう。などと皮肉めかした評を口走ってしまうのは本筋にいささかの感興も誘われないからだけれども、とまれ、息子に対して非道気味な無職親父を演じてもやっぱりジャック・ガンブランは惚れ惚れするほど格好よい。ルックスが。 [review][投票]
★3シグナル(2014/米)度外れた韋駄天走りなど、失笑と表裏一体の恐怖や切なさを目指すのは見上げた志だが、防護服で覆われたローレンス・フィッシュバーンの顔面のせり出しが滅茶で、正視を続ければ発狂に至ること請け合いである。しかしこの(余剰と思われた)顔面感すら物語の本線に収束させた手管は一枚の座蒲団に価する。[投票(1)]
★3イタリアは呼んでいる(2014/英)ODS上映なる催しにまで親しむようになった現代の観客である私たちは、およそ映写幕に何が投影されようとも驚くことはなくなったはずだが、しかしこのような「テレビ的」「イベント的」「広告的」のいずれでもない虚実混淆の動画像が「映画」のルックを持って立ち現れてくることには仰天を禁じ得ない。 [review][投票(1)]