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はじめ きめこめ/ 2018.11.04更新
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7あらすじ
2POV

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最近のコメント 10
★3愛しのアイリーン(2018/日)「人間関係は心の戦争」(原作台詞)。「冷たい戦い」ならぬ「熱い戦い」としての活劇的メロドラマ。つかず離れず、微妙に揺動し続けるハンディキャメラはそこに“いる”ことで群像を等価に、然し決して冷淡ならず映し出す。飽くまでも被害者ではなく加害者として己を演じ続ける人物達の相克が本音も建前も欲と金の奔流の中に消し尽す。そして唯一残響することになる、なけなしの告白。〔3.5〕[投票(3)]
★3SUNNY 強い気持ち・強い愛(2018/日)一見タイプキャスト的なキャスティング間に、それでも同一的な繋がりが見えてくるのはなんの巧妙か。コギャル連の泣き笑いの率直な表出が、その生態あれこれを単に時代風俗としてでなく映画内アイコンとして息づかせ、見る者の素朴なシンパシーを喚起する。あられもなき池田エライザのつかいかたの、つくりものめいたいかがわしさにこそ、映画演出本来の絶妙、奇妙がある。否応ない物的露呈こそが“感動”を印象に刻印する。[投票(2)]
★4寝ても覚めても(2018/日)心理を微分するのでなく言動を積分することで、人物と物語を描き出す。人物の言動が心理的脈絡を追い越すように繰り出され、その断続が全体に瀰漫する不穏、その不断なサスペンスと波及し合うことで物語が紡がれる。心理的人物の表象ではなく、心理的現実そのものとしての映画。だからこそそれは、震災の変動をたんなる歴史的事実ならぬ、普遍的な世界の不穏そのものの表出のようにも描き出す。だからこその、男女の邂逅。[投票(3)]
★4トップガン(1986/米)物語は定型の紋切型でも、こまやかな描写=演出は卒なくしかし確かに映画を映画に仕立てあげるかに見える。僚友の死に際し、相貌を飽くまで鏡越に捉えるに留まる構図、激励を飽くまで逆接として語るに留める台詞、そのさりげない節度。青年の「帰還」と「帰属」の物語としての細部と挿話の反復的な配置。空中戦はさすがに錯綜的だが、見分けのつくかぎり筋書も見て取れる。素直に面白い。[投票(1)]
★3ペンギン・ハイウェイ(2018/日)「泣くな、少年」。「お姉さん」は概して人間というよりは人形で、それだけ関係の構図はグロテスクかも知れないが、不意打的で断絶的な黒味画面は随所でその関係の切実な真相を瞬間的に表層化する。幼い妹の突然の慟哭の挿話によりそこに有と無に極限化される少年期的な存在論的真理の真実味がもたらされる。少年はしかし、最後の最後に決定的に決壊してこそ全ては掛け替えもなく真実化されるのではなかったか。〔3.5〕[投票(1)]
★4それから(2017/韓国)時制交錯の時系列整序が、やりとりされるコミュニケーションの内容自体によって担保されることの際どさ。言わば剥きだすテクストによってのみ支えられている映画。その中で、恐らくはこの映画のモノクロである所以、つまり雪と女優のイメージが交錯するあのさりげないショットの、その一点突破的な映画への欲望は、是とされるものではないか。[投票]
★3ミスミソウ(2017/日)審美的ではあれ、それでも効果的に画面に刻印され続ける人工の(恐らくはCGの)雪。映画の中で物語が駆動する為には私闘は飽く迄私闘でなければならず、全てを覆い隠すように降り続ける雪は物語に必然のイメージ。人物の実存を輪郭として浮彫にする赤白の対比と、活劇として撮られるアクションの応酬(逆手にもち替えられるナイフ)。[投票]
★3レディ・バード(2017/米)軽やかかつ果断な編集のリズム。恐らくは敢えて回収されない話の末節。ファミリーと言うよりはホームの、もっと言えばホームタウンの映画。後景にホームタウンと言う社会的空間あってこそ、前景の青春劇も軽やかかつ果断な編集のリズムで綴る事が出来たのではないか。フィルム的な画像の質感と近過去設定の妙なマッチ感もその空間あってこそでは。〔3.5〕[投票(1)]
★4レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う(1994/フィンランド)レニングラード・カウボーイズ・ゴー・ホーム! ヨーロッパ的な陰影と湿潤への親和性、そして「帰郷」と言うモチーフを見るにつけ、やはりカウリスマキはヨーロッパの、しかし越境の作家だと想う。メキシコ部やヨーロッパ部、果ては異邦人としてのアメリカ人まで“相乗り”する赤いバス。はりぼてリーゼントととんがり靴がなけなしな“アイデンティティ”として画面に刻印される。[投票]
★3レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989/フィンランド=スウェーデン)「その他大勢」の映画。レニングラード・カウボーイズの集団としてのシルエットは、とりあえずそのルックの統一と無表情演技にあるとは言えるが、それはけっして貫徹されず、その雑駁な集合が牽引にゾロつきながら歩きまわる様は、映画の中に主体なき主役としての「その他大勢」という奇態な実存を生み出すことになる。その奇態な実存あってこそ、サウスアメリカ裏街道という背景との微妙な距離感も生きる。[投票(2)]

Plots

最近のあらすじ 5
★2幸福 Shiawase(2006/日)白夜の季節の北海道・勇払。その田舎町の無人駅に一人の男(石橋凌)が降り立った。男はさすらう風にその誰もいない田舎町の道を歩き、やがて小さな公園で倒れてしまう。かたや同じ田舎町の道を一人の女(桜井明美)が歩いていた。女は町角で見つけた募集告知に引き寄せられてある場末のバーの女給になる。そして女は、行きずりに男を拾う。行く当てのなさそうにしている男を、女は自分の部屋に呼びいれる。男にしがみつく女。そして一夜を共にした二人は、その日から奇妙な共同生活を始めることになる。〈106分〉[投票]
★3タルチュフ(1926/独)偽善を働く家政婦に騙されて、財産を家政婦に譲ってしまおうとしている老人がいた。老人には俳優をやっている孫がいたが、財産を狙う家政婦に偽りの不行跡を吹き込まれて、すっかり信用をなくしていたのだ。そこで孫は家政婦の偽善を暴くべく一計を案じる。それは映画の興行師に変装して祖父の家を訪ね、そこである映画を上映して見せるというものだった。そしてその映画こそは、偽善を働く似非聖職者タルチュフがその悪事を暴かれる映画、「タルチュフ」だった。モリエールの戯曲を、映画中映画という入れ子構造の手法で映画化したムルナウの作品。〈71分〉[投票]
★3路上(1996/日)重い外套を羽織って新宿の路上を独り彷徨する女の映画。神代辰巳のもとで助監督を勤めた経歴のある鴨田好史が、その遺作『インモラル 淫らな関係』の残フィルムで撮影した、言わば神代辰巳への鎮魂のフィルム。〈42分〉[投票]
★3アフリカへの想い(2002/独)かつての伝説的映画監督レニ・リーフェンシュタールが、長い沈黙を経て1973年に発表した写真集「NUBA ヌバ」は、一部にはファシスト的との評も受けながら、大きなセンセーショナルを呼び起こした。それから30年、かつて生活を共にし、友愛を育んだヌバ族の人々と再会するため、レニは再びアフリカの地へと旅立つ。今は内乱続くそのスーダンの地で、果たしてレニはヌバ族の人々と再会できるのか。当時100にも近い年齢を重ねて尚盛んな活動力と生命力を見せていた女傑の、その旅の過程を追跡したドキュメンタリー。〈60分〉[投票]
★2呪われた森(1980/米=英)音楽家の父親をもつアメリカ人の一家がイギリスへとやってくる。一家は新居として紹介された鬱蒼とした森の中に建つ大きな館にやってくるが、その家主であるエルウッド夫人(ベティ・デイヴィス)は気難しげな表情で一家を眺め、そして長女のジャン(リン・ホリー・ジョンソン)に目を留めて、一家を受け容れることを告げるのだった。やがて館に住み始めたジャンはじめ4人の一家だったが、住み始めたその日から、ジャンのまわりには奇妙な出来事が起こり始める。そしてやがてジャンは、そのことがエルウッド夫人の30年前に失踪した娘、カレンの存在と関係があるらしいことに気がついていくのだった。〈84分〉[投票]

Points of View

ジャンヌ・ダルクの映画[投票(1)]
ジャンヌ・ダルクを描いた映画。ランクは年代順。
宮沢賢治と日本の映画[投票]
A:宮沢賢治の生涯、B:宮沢賢治の原作。原作作品は、やはりアニメーションが多い。
ケルベロスもの[投票]
押井守の趣味世界。
アントワーヌ・ドワネルもの[投票]
フランソワ・トリュフォーの自伝的連作。
勝手にしやがれ!!シリーズ[投票(1)]
黒沢清の95年から96年にかけての連作。ハードボイルドより軽妙洒脱な“ハーフボイルド”・シネマなんだとか。この連作はその後の『CURE/キュア』以降の作品への助走とも言える。