ジャン・リュック.. | チャップリン | 小津安二郎 | ヒッチコック | ジャッキー・チェ.. |
鷂
1976生/「ハイタカ」。最初のペンネームは「きめこめ」。2024/11/27 | |
URL | https://eigaoboegaki.hatenadiary.com/ |
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1476 | コメント | 240 |
7 | あらすじ | |
2 | POV |
Comments
最近のコメント 10 | |||
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首(2023/日) | 首と言うより、〇〇。[3.5] [review] | [投票(2)] | |
あんのこと(2023/日) | 実際の話を元に…、という、ありがちな添え書きから始まる。現実には誰も見出してやれなかった孤独に苦悩する「彼女」の背中を、演者の存在、虚構としての作品の存在を介して、私たちが垣間見る。まずは何よりも、告発というよりは、とにかくその人のその生のなりゆきそのものに寄り添おうとする、言わば墓碑としての映画だったんじゃないかと。 | [投票(2)] | |
悪は存在しない(2023/日) | 映画では、(カットを)切ることは即ちそのまま繋ぐことだと、カサヴェテスの映画を見ていて思ったことはある。あるいはゴダールの映画でも、そんな「断面」の感触は確かにある。 [review] | [投票(3)] | |
ここに幸あり(2006/仏=伊=露) | 窓と絵描きとその「落書き」。路傍のノンシャラン。 [review] | [投票] | |
M:I−2(2000/米) | サスペンス的と言うよりはアクション的なギミックとして繰り返される仮面剥ぎ。恐らくは敢えて開き直ってそれを終始一貫のモチーフとして活用する発想は良。飽くまで男どもの狭間に立たされる存在としてのヒロイン像はやはり“古い”のかも。 | [投票] | |
ミッション:インポッシブル(1996/米) | たとえばセリフに於ける言及とイメージされる実像との矛盾的な交錯。たとえばお定まりな仮面が剥がされる瞬間にそれでも微妙に滲む戦慄。そこには映画に於けるリアルとフェイクとの相克的な関係が見て取れる。その狭間での“リアリティ”の往還こそが、映画に豊かなサスペンスを担保する。コケティシュなエマニュエル・ベアールの色香もまた、潜在的な性的欲動のサスペンスの媒体として十分。この1作目あらばこそ。 | [投票(1)] | |
アメリカの影(1960/米) | 飽くまでも脚本という楽譜の上(※)で、しかし即興なメロディやリズムとして揺らぎ、蠢く人間達の影。少なくともこの映画にあっては、人間とは映画であり、映画とは人間だった。 [review] | [投票] | |
ワンダフルライフ(1998/日) | 「記録と記憶は違いますから…」 [review] | [投票] | |
ひいくんのあるく町(2017/日) | 主役は「ひいくん」ではなく飽くまで「あるく町」の方だと思う。 [review] | [投票(1)] | |
ちょっと思い出しただけ(2021/日) | 「思い出す=想起する」というイメージ受容のありようは、映画の本質の全部ではないにせよ、大きな部分を担っているんじゃないか。序盤、池松壮亮を見つけた伊藤沙莉、その数瞬の表情の微妙を捉えるショットが的確で、“その後”の「過去」の挿話の印象が何度もそのイメージに再帰する。そんな映画という媒体の本来的な無時間性を担保とすることで、「ちょっと思い出しただけ」という軽味のふっ切れた様な妙味も生きる。 | [投票(2)] |
Plots
最近のあらすじ 5 | |||
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幸福 Shiawase(2006/日) | 白夜の季節の北海道・勇払。その田舎町の無人駅に一人の男(石橋凌)が降り立った。男はさすらう風にその誰もいない田舎町の道を歩き、やがて小さな公園で倒れてしまう。かたや同じ田舎町の道を一人の女(桜井明美)が歩いていた。女は町角で見つけた募集告知に引き寄せられてある場末のバーの女給になる。そして女は、行きずりに男を拾う。行く当てのなさそうにしている男を、女は自分の部屋に呼びいれる。男にしがみつく女。そして一夜を共にした二人は、その日から奇妙な共同生活を始めることになる。〈106分〉 | [投票] | |
タルチュフ(1926/独) | 偽善を働く家政婦に騙されて、財産を家政婦に譲ってしまおうとしている老人がいた。老人には俳優をやっている孫がいたが、財産を狙う家政婦に偽りの不行跡を吹き込まれて、すっかり信用をなくしていたのだ。そこで孫は家政婦の偽善を暴くべく一計を案じる。それは映画の興行師に変装して祖父の家を訪ね、そこである映画を上映して見せるというものだった。そしてその映画こそは、偽善を働く似非聖職者タルチュフがその悪事を暴かれる映画、「タルチュフ」だった。モリエールの戯曲を、映画中映画という入れ子構造の手法で映画化したムルナウの作品。〈71分〉 | [投票] | |
路上(1996/日) | 重い外套を羽織って新宿の路上を独り彷徨する女の映画。神代辰巳のもとで助監督を勤めた経歴のある鴨田好史が、その遺作『インモラル 淫らな関係』の残フィルムで撮影した、言わば神代辰巳への鎮魂のフィルム。〈42分〉 | [投票] | |
アフリカへの想い(2002/独) | かつての伝説的映画監督レニ・リーフェンシュタールが、長い沈黙を経て1973年に発表した写真集「NUBA ヌバ」は、一部にはファシスト的との評も受けながら、大きなセンセーショナルを呼び起こした。それから30年、かつて生活を共にし、友愛を育んだヌバ族の人々と再会するため、レニは再びアフリカの地へと旅立つ。今は内乱続くそのスーダンの地で、果たしてレニはヌバ族の人々と再会できるのか。当時100にも近い年齢を重ねて尚盛んな活動力と生命力を見せていた女傑の、その旅の過程を追跡したドキュメンタリー。〈60分〉 | [投票] | |
呪われた森(1980/米=英) | 音楽家の父親をもつアメリカ人の一家がイギリスへとやってくる。一家は新居として紹介された鬱蒼とした森の中に建つ大きな館にやってくるが、その家主であるエルウッド夫人(ベティ・デイヴィス)は気難しげな表情で一家を眺め、そして長女のジャン(リン・ホリー・ジョンソン)に目を留めて、一家を受け容れることを告げるのだった。やがて館に住み始めたジャンはじめ4人の一家だったが、住み始めたその日から、ジャンのまわりには奇妙な出来事が起こり始める。そしてやがてジャンは、そのことがエルウッド夫人の30年前に失踪した娘、カレンの存在と関係があるらしいことに気がついていくのだった。〈84分〉 | [投票] |
Points of View
ジャンヌ・ダルクの映画 | [投票(1)] |
ジャンヌ・ダルクを描いた映画。ランクは年代順。 | |
宮沢賢治と日本の映画 | [投票] |
A:宮沢賢治の生涯、B:宮沢賢治の原作。原作作品は、やはりアニメーションが多い。 | |
ケルベロスもの | [投票] |
押井守の趣味世界。 | |
アントワーヌ・ドワネルもの | [投票] |
フランソワ・トリュフォーの自伝的連作。 | |
勝手にしやがれ!!シリーズ | [投票(1)] |
黒沢清の95年から96年にかけての連作。ハードボイルドより軽妙洒脱な“ハーフボイルド”・シネマなんだとか。この連作はその後の『CURE/キュア』以降の作品への助走とも言える。 |