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[コメント] ウェイキング・ライフ(2001/米)

「考える余裕」も「間」も与えられず、ひたすらストーリーは突き進み、私たちはその間ひたすら突き放される。始終居心地の悪さを感じてしまいました。
づん

難解な映画は沢山あります。でも観終わって「何が言いたかったんだろう?」と考える事と「何が言いたかったんだよ!」と憤る事は違います。この作品は鑑賞後に「何が言いたかったんだろう?」と考える余裕を与えてくれませんでした。

"考える余裕"

或いは"間"

意図的であったのかも知れませんが、この作品にはこれらのものを私は感じ取る事が出来ませんでした。何かを表現するという事は理解だったり共感だったり驚愕だったり反発だったり…そういうものを欲するがゆえに起こる衝動なんじゃないでしょうか?それなのにこの作品からはそういった類のものを感じる事が出来なかった。始終突き放されている感覚になるのです。「分からないんだったら別に分からなくてもいいよ。分かる人には分かるんだから」っていう、ある種の傲慢さみたいなものを私は感じてしまいました。

言葉、言葉、言葉・・・。意味を咀嚼する間も与えられずに続く哲学思想めいた言葉。観客がぐったりしようがイラつこうが食いつこうが睡魔に負けようが、そんな事はおかまいなしに「余裕」も「間」もなくどんどん進んでいく。それはある意味狙っていた事かも知れません。夢なのか現実なのか。生きているのか死んでいるのか。そういった混乱状態を敢えて観る者に与える為の言葉の洪水。そうも捉える事が出来るのですが、そう思える状態になるのはもう映画も佳境に入る辺り。そういう心境に辿り着かせるまでがあまりにも長い。

上記のような混乱状態。それは敢えて「言葉」を用いなくても、立派なアニメーションという手法で表現出来たのでは?私はそう思います。そう考えるとこの作品は「映画」という媒体を活かしきれていなかったのではないかと思います。せっかくのアニメーションも字幕を読む事に必死にならざるを得ない状況では堪能出来たとは言い難いです。

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07.01.23 記

(評価:★2)

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