[コメント] ヘルメス 愛は風の如く(1997/日)
ちょっとどうでもいい思索を書き散らす。
同じような新興宗教の宣伝映画には、例えば、アメリカにおいて製作された『バトル・フィールド・アース』がある。
『バトル・フィールド・アース』と本作の『ヘルメス』に共通する骨子のテーマは、「物質社会否定」「資本主義否定」ということになるのだろうか。その否定の対立項として『バトル・フィールド・アース』が、政治的な意味での保守性を提示したのに対して、本作は一種のネイチャリズムを提唱している。ここから、両国の文化差等、を思索する為のいろいろな源流になりそうだ。例えば、日本においてのネイチャリズムの提示は、現在の日本人が根源的にアニミズムを持っているとよく指摘されるものの証明言えるのかもしれないし、逆にアメリカではヒッピー文化全盛の70年代を通過していることと共産主義、等々への嫌悪感故に、本作のようなニューエイジ思想が多くの支持を獲得するのが難しくなっているのかもしれない。そして、90年代に入って以降のアメリカの保守化が宗教さえも政治的保守をその教義に掲げていると見てとれるかもしれない。以上は、検証も具体的な証拠も出せない思いつきなり、雑感だが。
『バトル・フィールド・アース』は上記のテーマの描き方に、アメリカの国家神話の再生とアカデミズムの復権を謳い、最終的にはアメリカの軍事力を主人公達が代行・行使することで、(外的たる)悪を倒すというストーリー構造を採択することで、「国家神話の再生」と「勤勉であれ」「清貧であれ」と啓蒙し訴えている。(結果的に彼らが拝金行動だの、経済活動を行っているのは、宗教団体らしい裏表ある行動でちと笑えるが)
サイエントロジーという宗教にはさして詳しくないが、『バトル・フィールド・アース』という映画を見る限りでは、よく見られる選民思想や、内省と内観による観念的な思想で成り立っている宗教というより、アメリカの極右思想の単なる畸形・先鋭化と思えたが故に、見終えてもさして不快感は感じなかった記憶がある。欧米において、著名人が信者にいるのは、その健全性の為なのかもしれない。まあ、正直日本人である私には基本的にはどうでもいい話の為に、よそ事として楽しめてしまったのだろう。
『ヘルメス』は人の善悪は遺伝的な形質によって規定されるという勧善懲悪の世界観を前半に提示した後に、後半の観念的な世界での禅問答の中で、歪んだガイア論やニューエイジ的な思想、つまりさまざまな排他・差別、歪んだネイチャリズム等が序々に現れてくる。そういった偏向した思想が、本来子供向けでのフォーマットであるはずのアニメーションという媒体を借りて、訓戒、説諭として使用された時の不快感は、ちょっとあまりにキツかった。
結論としては、サイエントロジーのほうが健全な宗教のようだ。
おわり
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