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[コメント] 青いパパイヤの香り(1993/仏=ベトナム)

主観を排した時間感覚――果たしてそれにどれだけの意味があるのだろう? 2007年5月9日ビデオ鑑賞
ねこすけ

1時間半が「ゆったり」と流れるその時間感覚の“映像化”に関しては良くも悪くも非常に上手く実現させていると言えるだろう。その点に関して言えば、確かに監督の思惑通りであって、「上手い」とも言える。

しかし、そこに特にこれと言ったストーリーを感じないところに、どうしても映画としての面白さを感じられない。特に後半部までも――ある程度起伏が激しくなるとはいえ――「ゆったり」とした感覚で描かれたんじゃたまったもんじゃない。

人間は、子どもの頃と成人した時に見える世界は違うのだ。その時間感覚を主観的なものとして描けば、それは常に変化し続ける時間感覚がそこにあるはずだ。監督はそれを敢えて客観的な場所から描くことによって「ベトナム」を描き出したが、それは所詮「ベトナム」ではない。勿論、それは「表現」ではあるかもしれないが、それは――少なくとも僕にとっては――退屈な物語でしかなかった。

描くべき対象は単なる映像的な「美」ではないはずだ。それをやるなら、ベトナムである必然性は無いのではないか?それとも、監督にとって「ベトナムの美」は民族衣装とか独特の家屋と照明の上手さなのだろうか?なるほど、それは認められる。

しかし、それは「ベトナム」じゃない。勿論、「理想のベトナム」でもない。そこには人間が居ないのではないか?

「ゆったりとした時間」を描くのであれば、その対比も出来れば欲しい。そこに苛烈な現実――我々が「ベトナム」と聞いて覚える印象に繋がる事柄――までも入れろ、といいたいわけじゃない。変な現実主義で物語を壊す必要性は無い。

ただ・・・コレではあまりに物足りない。

(評価:★2)

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