[コメント] サマリア(2004/韓国)
ラストシーンの絶望感と希望 2005年4月23日劇場鑑賞
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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記憶に頼り切ったレビュー。
ギドクの映画はいつも痛々しい。だけど、その中に含まれる絶対的な「優しさ」が救いでもあり、同時に、その「優しさ」こそが残酷さとのコントラストを強調する要因でもあり。
ラストシーン。
娘を捨てて去ってく父。必死に追いかけようと車を走らせるが、上手く運転できず追いつけない娘。一見すれば残酷なシーンではあるが、その数シーン前で親父は娘に運転を少しでも教えていたし、そもそも娘に「車」と言う足を与えて捨てた。果たしてコレを「捨てた」と取れるかどうかはひとまず別として、敢えてそこに「手段」を残しておいた所に、ギドクの優しさと、そしてその残酷さがヒシヒシと伝わる。
◇
全体的にも、穏やかでありながらピリピリとした緊張感が胸に突き刺さる。ギドクらしくないとも取れるとも一時思ったが、まさしくギドクらしい映画ではないかと後に納得。その根拠はよくわからないけども、あのラストシーンの絶望が、希望を内包した絶望が、やけに爽やかで、そして残酷だったのは、確かに覚えている。
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