[コメント] サーティーン あの頃欲しかった愛のこと(2003/米=英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
嘘や誇張だと思われるのなら、心外だし、そもそもこの映画に失礼だろう。念のために、「邪道」と軽蔑されるのを承知でネットで探して確認してみたけれど、私が引用した箇所のスクリプトは以下の通り(正確には「見せて」「ほら」みたいな細かいセリフがあいだにいくつか入るが、ここでは省略)。
- You guys, I totally just stole this.
- Oh, my God. I don't think I've ever seen this much money in my life.
- Let's go shopping!
- Hell, yeah!
こんな風な書き出しで始めると、私がさぞかしこの映画を見たことにうんざりしていて、見ているあいだもずっと画面のなかの女の子たちに向かって冷淡を決め込んでいたクソ野郎に違いないと思われるかもしれないが、必ずしもそういうわけではなくて(いや、クソ野郎ってのはなかなか否定しかねますが)、むしろそれなりに見れたように思う。ただ思い返して、この映画をそれなりに「見れた」のは、この映画が「見れる」出来だからなのだろうか?
たとえば、この映画は、全編概ね手持ちカメラで撮影されていて、それはドキュメンタリー的な「生々しい」感覚を意図しているのだろうけれど(予算の制約という都合もあるにせよ)、それにしては、ある口論のシーンではカメラを左右交互へ斜めにグラグラと傾けてみたり、別のシーンでは唐突に固定カメラにしてみたり、映像に一貫したスタイルというものを感じられない。あるいは、いかにも「無軌道」と言いたげな、なんだか古風にさえ思えるパンクっぽい曲が冒頭からダラダラと流されていたかと思えば、ラストに近付くと、いかにも感傷的な音楽が挿入されるのも、凡庸だ。あれこれありつつ、結局、十代の娘とそれを見守る母親、という万人に受け入れやすい(というか、拒絶しづらい)テーマに収斂される物語に、見る前から想像しないようなものがあっただろうか。「見れる」話ではあるが、映画としてとりたてて「見れる」内容というわけではないように思う。
私がこの映画を好きになれないなと思ったのは、いかにも「心象風景ですよ」とエクスキューズ済みの映像で「心の叫び」を本当に叫ばせてしまうラストシーン。カメラを見つめるエバン・レイチェル・ウッドの蒼白した表情はさすがに印象に残るけれども、しかし、これは必要なシーンだろうか? 十代の少女の繊細な「心の叫び」を聞き取れない心の冷たい人たちのために親切心で用意してくれたのかもしれないが、おかげで、B級スラッシャー映画の一人目の犠牲者が出しそうな甲高い叫びが私にもよく聞こえました。
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