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[コメント] ボビー・フィッシャーを探して(1993/米)

ただひとつの大切なことを極めるためには、多様な体験を通して知見をひろめること、 様々な人々と出会い感情をわけあうこと、そういった当たり前の人間らしさが欠かせないのだ。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それを表象するように、本作には全能のキャラクターが登場しない。父親は家族への愛に溢れた人ではあるが、息子の才能を盲信するあまり自分の自己実現を彼に託そうとして苦しめる。ベン・キングスレーはチェスの知識と経験に関しては他を寄せ付けないが、自らのスタイルに固執するあまり、プレイヤー自身の自由さや他者を尊重する気持ちにかけている。ローレンス・フィッシュバーンの教えはジョシュに起死回生の一手を打たせるが、彼はいわずもがなホームレスであり社会的な敗北者として描かれている。

そんな大人たちがジョシュの成長を通して、「人生にとって大切なことは何か」を問い直していく。実に感動的なストーリーである。

敢えて言えば、ローレンス・フィッシュバーンとベン・キングスレーの背景をもう少し掘り下げても良かったのではないか?単なるチェスの師匠として二人のプレイスタイルを描き分けるだけでなく、そこに至る二人の人生をもう少し観てみたかった。ローレンス・フィッシュバーンが真夜中、誰もいないチェス公園に一人座っている。彼には他に行く場所などない。公園でのチェスだけが彼の居場所なのだ。ベン・キングスレーがストリートでの賭けチェスに興じている。ボビー・フィッシャーを目指すあまり、彼とて自らのプレイスタイルを捨てた殉教者の一人である。こういったシーンがあと2〜3あれば、彼らのキャラクターにより深みがついたと思う。

また、ライバル役の少年のキャラクタリゼーションがあまりに平板。台詞を語らない、他人の試合をみて嘲笑する、等の演出は、ジョシュが彼に対して感じる不気味さを強調する機能を果たしてはいる。しかし、彼はジョシュのダークサイドであり、もう一人の自分なのだから、どこかのタイミングで二人を対話させることで、価値観の違いを浮き彫りにしてみてもよかったのでは?(逆に安っぽいか?)それでこそ、最後の「引き分けの申し出」が活きてくるのではないだろうか。

(補記1)ローラ・リニーがちょい役で出てたね。正しいこと言ってるのにジョー・マンテーニャに一方的に怒られてかわいそうに…。

(補記2)この映画は僕の大好物の「息子に献身的な愛情を注ぐ父親」が登場する。ローレンス・フィッシュバーンと楽しそうにチェスをする息子。その姿をみつめ静かに微笑むジョー・マンテーニャの姿にグッときたよ。

(補記3)アカデミー賞に輝いたコンラッド・L・ホールの撮影が実にすばらしい。チェスというゲームが持つ、スピーディーな緊張感、エレガントな空間を見事に映像として表出させた。

(補記4)チェスは盤上で駒が動くだけ。つまり極めて動きの少ないゲームであり、アクションを映像的に語ることで意味をなす「映画」という表現方法とは食い合わせが決してよろしくないと考えられる。しかし、本作はなかなかどうして飽きさせない。演出の緩急とバリエーションが豊富だからだ。例えば冒頭の父親と息子のチェス対決では息子の盤との向かい方をコミカルに変化させる。ローレンス・フィッシュバーンとジョシュの対決は細かい編集とリズミカルな音楽で躍動感のあるシーンに、ベン・キングスレーと盤を囲む時は緩やかな音楽と会話を主体にした構成で哲学的なシーンに演出している。最後の一戦では、チェスの素人にもわかりやすいように勝負がつくその瞬間をドラマチックに描写している。その一つ一つに十分な工夫がこらされており、映画的なアクションとして成立させているところが実に見事。

(補記5)直接的な関係はないと思うが、これ、GVS監督の『小説家を見つけたら』と構造がそっくり。天才少年と隠居気味の師匠がであう。ぶつかりあいながらも信頼を深めていく。少年は成長し、師匠は人生の意味を見つめ直す、みたいな。原題も“SerchingForBobbyFisher”と“FindingForFolester”で似てるしね。

(評価:★4)

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