[コメント] ある朝スウプは(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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パニック傷害の症状と言うのは症状も様々で、時には多重人格を併発したりする事もあるらしいです。
それに比べ北川君(廣末哲万) は、志津(並木愛枝) の献身的な支えも虚しく新興宗教と言う〔誤った〕心の拠り所を見つけた為、 若干痩けただけで、セミナーに行く為に外出したり、有り余るパワーを放出する為に近所を走ったりと引き篭もりと言える程引き篭もってなかったので、 パニック傷害の症状は軽く(思えた)、一見怠けて現実逃避しているだけの様に見え、正直…腹立たしさを覚えました。 病気になる前の北川君を知らなければ、誰もパニック障害と言う病気の人なんだって思わないかもしれないし。
例えば本作の様に、 パニック障害になり苦しんでいる時、心の拠り所を見つけ、のめり込み、言動がおかしくなる。 それを私は”気が触れた” と思ってしまう。パニック障害と認知する事が出来ずに。
また、外へ行かずに引き篭もった場合、怠けてる・弱い(誰だってそぅいぅ事態を乗り越えてる)と思ってしまう。 過呼吸など発作を目の当たりにしたらまた話は別だろうが、当事者はそぅなるのが怖くてどんどん行動範囲が狭まられるわけだから、第三者が発作を目の当たりにする事はそうないのだと思う。
と、パニック傷害に陥った当事者・親近者の苦悩は第三者にはなかなか伝わらないもので、パニック傷害と言う病気は、まだまだ世間に認知されていないんだろうなーと思いました。実際身近に居たし、最近かなりよく聞く病気ですが、どぅも完全には認知しきれない、私もその一人だから。私にも身近な大切な誰かにも起こりうる事なのに。
世の中全体的に、”思いやり” が足りないから、そう言う病気になる人が居て、私の様に認知し切れない人が居て…と、考えさせられます。一人で観たんですが、鑑賞後彼と話し、意見の相違で喧嘩になってしまった程、身近で重く考えさせられるテーマです。
もし身近な人がなってしまい、引き篭もった時に、その病気を理解してあげずに「なに怠けて!」 と叱ると良くなくて、理解し支えてあげる事が必要と聞いてましたが、志津はよくやってたと思うのに、北川君はどんどん悪化していって、、やっぱり北川君のそれは甘えからくるものにどうしても思えてしまって…。
ラストは、北川君が自ら部屋を出て行くと言う選択をしたのは、回復の兆しに私には思えました。あのままどんどん新興宗教にのめり込んでしまうのかもしれないけれど、部屋を出て行く前の最後の朝食時の表情・喋りはしっかりしていてたし。本作では北川君自らの選択でしたが、生活をガラッと変えてみたり、強引な療法かもしれないけれど突き放す事も必要なのかなぁとかあれこれ考えたり、とにかく楽しむ為の娯楽映画とはまた違う良さがありました、脳を刺激して使うってゆー。 もっと本作の様な映画を観、私の固い固い脳みそに刺激を与え、もっと人の気持ちを考えられるようにならねば…と思いました。
出演者は美男美女でもないまだ名前が売れてない役者さんで、住まいもボロアパートで質素な生活感に疲れが滲み出ていてちょっと暗い雰囲気で、インディーズ作品だからこその味が生かされた風も良かったと思います。
重くて暗くて妙にリアル。けれど目を背けられない。 息苦しくなって鑑賞中何度深呼吸した事か。。そんな映画でした。
05.09.18@ユーロスペース
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