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[コメント] ソウ2 SAW2(2005/米)

ジグソウの楽しんでる“ゲーム”とは…
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『ソウ』の場合はたまたま近くのシネコンでかかったために拝見。ラストまでの展開は本気で驚かせていただいた。それで出来れば本作も。と思っていたが、残念ながら近くではやらず、遠出する時間もなかったので断念。テレビでの視聴となった。ストーリーの好み具合は高くても、残酷描写は苦手なので、テレビでいいや。と思ったのだが…

 いや、でもこれだったら劇場で観ても良かったな。しみじみそう思わされる良作。元々が違う脚本だったそうだが、そんなことを思わされないほどにシンクロしていた。  問題はこの作品は何を言ってもネタバレになってしまうと言うことなのだが、とりあえずあんまりその辺考えずに思ったことを書いていこう。

 本作と前作『ソウ』との大きな違いはジグソウの存在の変化だろう。前作では最初はジグソウのことが全然分からず、ラストになってその存在が何であったのかを知らせられる。という事になるが、今回は最初から出ていること。犯人が最初からいて、どういう物語が展開するのか?ここでぐっとつかみを取ることが出来た。

 ただ、最初から出ていたと言っても、やっぱり『ソウ』同様、彼は最前列でしっかりゲームを見続けていたし、最後は「あっ」と言わせることになる。見事な存在感だった。  ただ、本作の場合、単なる物語の巧みさだけではなく、奥にあるものを感じさせられるのも事実。

 ところでジグソウがゲームを通して求めていたこととは何だろうか?

 彼は敢えて命懸けの他者に強いるが、彼はそれを通して「生まれ変わり」を求めていたのではないかと思える。

 彼がゲームを強いたのは本作で明らかになるのだが、何らかの犯罪者であったり、何か後ろ暗いことをしていた人物ばかり。ジグソウは単に楽しんでいるだけではなく、彼らの更正を願っていることを仄めかしている。その更正に必要なものとは、一つには“苦痛”。これを通り過ぎることで反省を促す。次に求められるのが“決断”であろう。そのためにはさらなる苦痛を通り過ぎる必要はあるし、しかも後の生活に重大な支障を来す事もある。しかしそれを敢えて通り越して命を得ること。これが決断となる。

 その決断は人により様々な様相を見せるが、生まれ変わった人間にはそれに見合ったものを与えるのが特徴だろう。ここではケリーとアマンダに対して与えるものにそれが端的に表されている。ケリーに対してジグソウは息子の命を提示するが、そこでケリーに求めるのは忍耐だった。ケリーは暴力刑事であり、犯罪者はもとより一般人にも恐れられた存在。彼が命を軽んじる存在から命を大切にする姿に生まれ変わるには忍耐を必要とし、そのためにはただ“観続ける”事だけを求める。一方、二度にわたる試練に耐えねばならなかったアマンダに対しては、単に自分の命を救うだけではなく、人の命をもてあそべる存在へと生まれ変わらせる。このために彼女に求められたのは、あらゆる人に一度屈服することだった。人の命を扱うのならば、人の命を大切にする心を持たせようとしたのだろうと思われる。執拗なまでのアマンダに対する責めは、二度目の生まれ変わりを必要としたのだろうから。

 もちろんこれはゲームだから、成功することもあれば失敗することもある。その試練をクリアできるかどうかはその人次第。これぞジグソウが楽しんでるゲームだったと言うことだ。

(評価:★4)

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