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[コメント] ナニー・マクフィーの魔法のステッキ(2005/米=英=仏)

メリー・ポピンズ』の場合は規則で縛られている時代だから“自由”を。本作の場合こどもがフリーな状態になりすぎている現代だからこそ。なのかもしれません。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 人間が何かをなす場合、何かを犠牲にして達成させることになる。しかしこどもはそれが分からない。こどもだからという免罪符がある場合もあるし、親が守っているという安心感がある場合もある。だが、それはいつまでも続くわけではないし、こどもの時点からその事を教え込ませるのは親の責任でもある。むしろこどもが無茶苦茶やってるのはそれを求めている事だってあるのだ。

 ここでは親であるセドリックはその責任を持っているのだが、その責任を果たしていなかった。彼はこども達のことを愛していたとしても、ただこどもが嫌がらせをしているとしか思ってないし、自分自身のことで手一杯だから、結果的に甘やかす一方で終わってしまっている。

 その意味でここでマクフィーがやってることは、母親の肩代わりだったとも考えられる。一見彼女のしていることは突き放しのようだが、彼女はこども達に常に選択を強いるし、その結果はこども達一人一人がちゃんと分かるようになってる。原因と結果をしっかり教えているのだ。彼女がやってることは改めて考えると、母親のなすべき役割を果たしている。

 それはこどもだけではなく、父であるセドリックにもあてはまるだろう。彼も又、近くのものばかり見ていて、本当に大切なことを忘れてしまっている。マクフィーの存在は、彼にそれを教えるためにあった。

 こう考えることも出来るだろう。

 マクフィーはいなくなった母親こそが派遣した存在だったのかも。  そう考えると、こども達が責任感を知る度にマクフィーの姿が変わってくるのも意味があるだろう。こども達をしつけることは彼女の使命だったと考えられるのだから。

 その辺を考えさせてくれるが、その辺は多分無理に考える必要は無いんじゃないかな?心温まる作品を観ようと思うなら、見たまんま捕らえるのが正しいのだろうし。

(評価:★3)

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