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[コメント] ゼロ・デイ(2004/米)

「僕はきれいに消え去ったりなんかしない」「みんな、いずれ死ぬ。人生を楽しめ」 フェイク・ドキュメンタリーというより、作品外的情報から自由であり得ないその意味では可能性と制約ひっくるめてフェイク・フィクション。ラストが蛇足。(2012.1.13)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「でも本当の原因はどれでもない」「理由は探しても見つからない。クソ喰らえ、理由なんかない!」

 そもそもからして、『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『エレファント』がすでにあったところへ登場した映画である。少年たちが劇中でカメラに向かってはっきりと何をやるつもりなのかを語るのは中盤過ぎてだったと思うが、私たちは見始める前から「スクール・シューティングの犯人の少年たち」として彼らを見ずにいられない。この点に作り手がどこまで自覚的と見るか、そこが評価のポイントの一つになるだろう。

 「ゼロ・デイ」=「初めて気温が零度になった日」という少年たちの決行日の設定が、学校的日常を送りつつも突然の破局を待ち望む、そんな少年たちの気分を上手く表現している。ところが、また一味巧妙で、見る間に冬となって、事件が迫るのかと思わせたところで、その日は訪れず、アンドレが下痢になり、決行できず、暖冬で寒さのピークを過ぎてしまったので、5月1日に決行することにした、ともう一人の少年キャルがカメラに告げることになる。ここでアンドレ自身がそれを語らないのがおもしろい。一見恐れを知らず主導的に見えるアンドレだが、それはあくまでカメラに見せる姿でしかない。一方のキャルは「アンドレは、逃げてほかの州でも同じことを繰り返す、なんて言ってるけど、そんなことは無理に決まってる。僕は黒いプラスティック・バッグのなかに入れられるんだ」とカメラに向かってひとりつぶやく。あるいは、アンドレが「理由なんかない!」と語気を荒げたすぐ隣で、キャルが「今の僕を作ったのはあんたらだ」と恨みの感情を率直に口にする場面も興味を引く。少年たちの心情を、ではなく、あくまで少年たちが語りたいと思った心情のみを描く、そのことによって逆に二人それぞれの心情が浮き彫りになる、という独特の視点を予感させる。とはいえ、クラスメイトや父親が回すカメラの映像が挿入されるところに手法の曖昧さが感じられ、ラストでその問題が露呈してしまう。

 銃乱射の場面。吐き気をもよおす壮絶なシーン、と定評(?)があるようだが、私にはただ単に退屈だった。監視カメラの映像はそれまでの映像との内的つながりはなんらなく、それまで映画の保ってきたフィクションとしての強度があっさり「コロンバイン高校事件」という既成の現実に席をゆずってしまったかのようだ。そのあとに挟まれる、二人の墓に火をつける少年たちのビデオに至っては作品の視点がますます曖昧になり、ぐだぐだ。実のところ、次々と人が倒れる銃撃の映像そのものは不快でもなんでもなく、不快感を誘っているのが、定期的に入るビープ音とオペレーターの「連射」「アンドレ?」といった淡々とした声でしかないことに注意すべきだろう。少年たちの意図通り、銃を持った少年たちが校舎に向かって去ってゆくショットで映画を終わらせていれば、どういう印象を残したのか、それを知ることができないのが心残りに思える。われわれは「銃撃を見せろ」と不満を抱くのだろうか?

 なお、エンドロールのキャスト名の並びを見ていて驚かされたが、それぞれの少年の実際の家族が家族役で出演しているらしい。

(評価:★3)

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