[コメント] ホワイトハンター ブラックハート(1990/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ハリウッド映画には、監督や製作者を題材にした作品と言うのがいくつかあるが、大体そう言う伝説になるような監督というのは極めつけの変人が多いもの。ご多分に漏れずヒューストン監督は数々の奇行をもって知られる人物で、その中でも極めつけが『アフリカの女王』(1951)のアフリカロケだったそうだ。何せ映画そっちのけで毎日のように象撃ちに出かけたり、スタッフやキャストに悪質ないたずらを毎日繰り返し行ったりで、映画が完成した事自体が奇跡と言われるほどだった(しかしながら映画自体も出来が素晴らしいのが皮肉ではあるが)。
そんな無茶苦茶な監督に惹かれるものがあったのだろう。イーストウッド監督が総力を結集して作り上げたのが本作。ヒューストン(ここではウィルソン)の苛つきと情熱を中心に、決してコメディに陥ることなく、その内面描写に力を入れて作り上げた。 イーストウッド自身それなりに監督としてキャリアを積み、いくつか賞も取っているが、自分が情熱を傾けて作ったものについては不当な評価しか得られないというジレンマに陥っていたため、その思いをヒューストンに託し、本作で叩きつけようとしたかのよう。
ただ、その思いが強すぎたせいだろうか。本作は極めて衒学的な、分かりにくい作品になってしまった。ここで描かれるウィルソン監督のキャラ描写は凄い迫力なのだが、言っていることに一貫性が無く、しかもその一言一言が謎めいていて、しかも劇中「自分が何を言っているのか分からない」とまで言わせている。内面を描くにしても、ちょっとこれはやり過ぎで、観てる側としては不安感しか得る事が出来ない。
しかも肝心な『アフリカの女王』の撮影に入る直前に物語は唐突に終わってしまう。それを目的で観ている側としては完全に肩すかしを食ってしまう。実際興行成績は無茶苦茶悪かったそうだ。
ただ、それでも敢えて本作を考えてみると、ヒューストン監督の映画を作るモチベーションとは、撮影だけに留まっていないと言う事なのだろうかとは思う。ここでは象を撃つという行為が、あたかも宗教的な熱狂に近く、そこで情熱を冷まさなければ映画も手に付かない。だから成功しようが失敗しようが関係なく、とにかく象を追いかける。その間に映画を撮るモチベーションを高めていったのかもしれない。結果的に象を一度も撃つことなく、しかもその当の象にガイドまで殺されてしまったところで、ようやく正気に戻ることが出来た。強いて言えば、かなり複雑な人間という訳か。
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