[コメント] アニマル・ハウス(1978/米)
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大学時代…今でも思い出すが、本当にあそこは日常とは隔絶された世界だった。それまで割と真面目に勉強して(我が弟の言うところによれば、「あれでも大学は入れるんだ」だそうだが)、ようやく試験にパスして入った大学。だが、そこは思っていた以上に自由なところだった。結局はその雰囲気に飲まれてしまったような感があるが、あれはあれでとても楽しかったし、同時に今から考えると赤面するような恥ずかしい思い出が山ほど。結局それで精神のバランスを崩して鬱になったりして…色々思い出がある。
本作の冒頭部分は、本当に私が辿った道みたいなもので、何も知らずにきょろきょろしていたら、強引にクラブに入れさせられたり、そこで引っ張られてる内に色々悪さしてみたり…こういう人間って結構多いんじゃ無かろうか?性格的なものかも知れないけど、引っ張る側の人間になれなかったのは寂しい思い出でもあり。 本作の構成はかなり無茶苦茶ではあるが、そんな昔の思い出を掘り出してくれただけでも充分。
本作がアメリカで大いに受け入れられたのは絶妙な年代設定もあってのことだと思われる。1978年と言えば、10年かけて作られてきた思想的な混乱からようやく脱出し、平和を謳歌している中、ポストモダンへと移行していく時期だった。しかもこの時期と実はほとんど同じ年代が存在する。それが1960年代初頭であり、顕著に言うなら、この1962年というのが一番の平和な時代として設定されている。この年は『アメリカン・グラフィティ』(1973)の舞台ともなっているが、これから泥沼のヴェトナム戦争へと移行する前で、人々はアメリカの強さを確信しつつも、「何かしなければならない」という思いに突き動かされていた時代だった。若者の意識が、何かに向かって突き動かされつつある時代。それがこの舞台となった年であり、そしてこの映画が製作された時期でもあったのだ。1978年はヴェトナム戦争を経て、アメリカが決して本当に強い存在ではないことを嫌でも知らされた時代で、しかもヒッピー文化も細分化され、新しく入っていきにくくなった。こんな時代、次に何をして自己実現をすべきか。と言う命題が与えられた時に作られた作品だったのだ。
ここでの学生たちはとにかく苛ついてる。特にアニマル・ハウスの連中は、既存の大学制度をとにかく面白く思ってないが、さりとて具体的に何をするでもなく、反抗的な態度を取ってサボタージュを繰り返す位しかできないでいる。しかし、受け身ながら覚悟は決まってる。これは実はこれから80年代に向かう重要なポイントだった。何が起こるか分からないから、あくまで受け身に。しかし一丁事あれば、自分自身のみを省みず、徹底的にやりとげる。
この姿勢こそが当時受け入れられた姿なのだろう。
何より、ここでのベルーシのはまり具合は見事と言える。何でも脚本は最初から主役をベルーシにするつもりで、彼のキャラクタ性を引き出すことを主眼に作られたのだとか。ベルーシの真骨頂は『ブルース・ブラザーズ』(1980)かと思っていたが、本作の方がベルーシらしい作品に仕上がっている気もするよ。
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