[コメント] 71フラグメンツ(1994/オーストリア=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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全く関わり合いのない人々で構成された事件を、一旦パズルのピースのように解体する。そして一つ一つのピースを検証するワケだが、決して一人ひとりの極私的なプロフや性格を描くわけではなく、その人が現在どのような社会、環境に身を置いているか、その考え得る可能性を描き出している。
一言でいえば、コミュニケーションのズレ、歪み。民族間、世代間、男女間、そして社会と個人の間のそれ。しかも面と向かい合いながらも、いかに人は他人に無関心であるか。それは、移民の少年を無視する街の人々という、分かり易いケースだけではなく、個人と個人が面と向かって対峙した時でさえ、会話は成り立っているようであまり成り立っていない。対象が不在のまま、めくらめっぽうに打ち返している一人ピンポンは、コミュニケーションの一つの有り様を象徴しているように思えた。
それらの全く関わりのない断片、個人同士がラストで一つの場所と時間に立ち会う。彼らはそれぞれどこまでも関わりのない人々なのだが、そこで起きたことはやはり必然と言うしかないのである。全てはコミュニケーションの不全、人に対しての関心の度合いの低さ。そしてその事件のニュースを見る私たちはどうだろう。ブラウン管を通して支離滅裂で雑多な世界を、まずは受動的に見る。その受動的に目に映った時点で、その対象を理解したものとして錯覚してはいないだろうか。
・・・といった感じの映画として受け止めた。ともあれ、様々な現実の断片だけではなく、ハネケの映画に不可欠な重要な要素も散りばめられている。それも含めて確かに見応えのある一本なのだが、習作っぽい印象も受ける。この映画には表面上の帰結点がある。しかし、ハネケの映画の中では比較的似た作りの『コード:アンノウン』にはこの帰結点すらないのだが、不思議なことに『コード:アンノウン』の方が自分には断然面白い。まだこの監督の個性が全面に出ていないような気がする。・・・とはいえ、最近はやりの(特にアメリカ産の)様々なエピソードが一つに収束する映画と比較すれば、独自の志の高さは疑いようもない。
最後に、一見即物的で、どこまでも現実的な印象の中で、妙に印象に残ったシーン。事件前にドアの向こうから聞こえる「主よ、人の望みの喜びを」。そのドアが閉ざされた時に、彼はどこにも救いは訪れないことを、無意識のうちに感じ取ったのではないだろうか。
(2007/2/25)
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