[コメント] ロッキー・ザ・ファイナル(2006/米)
得体の知れない活力に湧いた1作目、狂ったファイナル
ロッキー以外の殆どの人物はロッキーの引き立て役、またはそれに近しい。といっても単純な計算で作られた引き立て方ではない。それを踏まえた上でロッキーのある一つの感情を描くことが出来ていると思う。
一番の見せ所は試合シーンのモノローグだと感じた。台詞が見所というと映像芸術たる映画のファンは拒否反応を起こしがちだが、直接的に描きたいものを示した野暮な台詞は無い。普通の映画ならリトルマリーとのやりとりで「何らかの決心がつく」ことになるはずだが、今作のロッキーはそのように一言で表現できる思考なのだろうか。「打たれても打たれても前に出るんだ」といった言葉にどこか狂気じみたものを感じた。スタローンは筋肉増強剤を使用して撮影に臨んだ。情緒不安定となる副作用があるのでそれがシナリオにちょっとした深みを持たせているのではないだろうか。味に無頓着と言われるアメリカ人でもハンバーガーにはピクルスといった癖のあるものを挟むのだ。
駒のような人物が多い中でポーリーだけは相変わらずで癒される。
ひとつ大事なことがあって、ディクソンの台詞の翻訳が字幕と吹き替え版で違っている。 字幕「ジイさん」吹き替え「いかれたじじい」ストーリーの文脈上だいじなやりとりなので、原語に忠実な日本語吹き替え版でみなければいけない。この作品には狂気の部分に着目して欲しい。
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