[コメント] パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この作品について考えることは、パンの登場するファンタジー部分をどう捉えるかから始まる。あれは地上世界に並行して実在するものなのか、それとも単なるオフェリアの夢想なのか。私は後者の立場をとる。大尉の支配する世界での抑圧・恐怖が過剰とも言える程リアルに描かれていることから見ても、これはファンタジーではなく徹底的な現実性を指向して作られた作品なのだろう。それゆえに、パンや妖精、魔法のチョーク、そして地下の王国も、オフェリアの夢想としてこの極めて現実的な物語に位置づけられるのである。(パンの存在を完全な夢だとすると、彼からもらった木の根の存在やオフェリアが監禁から逃げ出した過程について辻褄が合わなくなるもののの、木の根は裏庭で拾った、監禁はオフェリアが兵隊の目を盗んで逃げた程度に考えておく)
この「全部オフェリアの夢想」説をとると、言うまでもなく、本作は抑圧下でひたすら現実逃避にすがる少女が死ぬまでの過程を描く、救いのない物語となってしまう。特に悲しいのは、オフェリアが逃避のために描く夢が、逃避とは言えない暗惨たるものであったことだ。なぜオフェリアは泥にまみれ、蛙に舐められ、妖精を食い殺され、怪物に追いかけられる夢しか見ることができなかったのか?人間、絶望の下では明るい夢や希望を持つことなど到底無理なのだという監督のメッセージが聞こえてきそうである。この点、『ライフ・イズ・ビューティフル』とは全く逆のスタンスを取っている。
人を見た目で判断しがちな私はどうもパンが信用できず、オフェリアを利用して魔界の扉を開こうとでもしているのではないかと始終不安であった。そのため、最後に王座の陰からパンが現れたときはかすかに胸を撫で下ろした。しかし上記のことを考えると、中盤のパンはオフェリアにとって他の怪物と変わらない恐怖の存在そのものであり、彼が善玉と判明するときはオフェリアが不安から逃れて死を迎えることを意味しており、なおさら悲しい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。