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[コメント] 赤い風車(1952/英=米)

トゥールズ・ロートレックを“愛の人”として描いた作品。ヒューストンってこんなに繊細な作品も作れたんだ。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 ここに描かれるロートレックはまさしく“愛の人”であった。彼は愛されることを痛切に願いつつ、様々なものを愛そうと努力する。時としてそれは純粋すぎて痛ましい愛になり、時として芸術家の傲慢さを見せての掠奪の愛となる。それら全てが彼の愛だったのだ。しかし一方、彼は自分自身に対して歪んだ愛しか持つことが出来なかった。それが故に、彼の愛は極めて歪んだものになっていく。「愛されたい」「愛して欲しい」という思いが、あっという間に「どうせ捨てられる」「捨てられるくらいならこちらから捨ててやる」に容易に転換してしまうのだ。自分の存在そのものに自信を持つことが最後まで出来なかった人物がロートレックだったということになるだろう。芸術家とは本当にそういう人でなければなれないのかもしれないね。

 更に、それで終わらせるわけではない。ロートレックが最後に気付いた愛とは、人間に対するものだけではなかった。最後に彼の脳裏に浮かんだのはムーラン・ルージュの狂騒。彼の思いは特定個人に限ったものではなく、人間全体、いや人間性というものに対してだった。と言う事に気づかされることになるのだ。狂騒の中で本性を現す人間に対し、人間のあり方そのものを愛するという姿勢を見せてくれる。

 その辺の心理描写をヒューストンは見事に、精緻に描ききっている。この作品を観るまでヒューストンって人間描写は割と大ざっぱな人だと思ってたから、新鮮な驚きを感じさせられた。こんな細やかな演出できる人だったんだね。

(評価:★3)

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