[コメント] 偽りの花園(1941/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私にとってつぼにはまる映画というのがある。自分でも最近になって気が付いたのだが、心がバラバラになっていた家族が再生していくというストーリーに妙に弱い。たとえそれがいくらベタでも、そのパターンを出されてしまうと、ころっと騙されてしまうのだが、一方でまるで駄目なのが、これとは逆のベクトルの作品。家族が憎み合って、最後はバラバラになってしまうと言うパターンは、どれほど素晴らしい出来であったとしても、観ているのが辛くなってしまい、最後は意識を他に漂わせてしまう。
そう言う意味ではワイラー監督作品ほど相性の悪い作品は無かろう。監督作品に出てくるむき出しの憎悪や肉親だからこそ出来る非情な仕打ちの数々は、観てるだけで辛くなってしまって(もちろん監督作品としては『ローマの休日』(1953)なんてのもあるんだけど)…
そして本作はそのワイラー監督の中でも最もそう言う傾向が強い作品。
はっきり言って、観るんじゃなかったと久々に後悔した作品だった。観ていて気持ち悪くなってきた。
あまりにもデイヴィスの鬼嫁ぶりが堂に入りすぎて、一種感心するほどの恐ろしさを出していたし(その後『何がジェーンに起こったか?』(1962)を観るに至り、その思いは確信に変わった)、心臓病の薬を手に夫を見殺しにするシーンは悪夢そのもの。あのときは流石に最後に薬を手渡すもんだとばかり思っていたのに、最後までそれをせず。驚かされた。
実際このシーンはハリウッド映画における名シーンの一つとなり、デイヴィスはハリウッド史上最高の悪女というイメージを植え付けられたそうだが、ここで幾度と無く駄目だしを出され、デイヴィスとワイラーの仲は悪化したとも言われるそうだ。
しかし、それだけ精神的にきつい物語でありながら、カメラアングルは素晴らしいの一言。ワイラー監督特有の階段がこれほど効果的に使われた作品は無かろう。上下からの視点も合わせ、カメラもよく動くし、それぞれがピタッ、ピタッとはまっている。キャラクタのなりきり方も凄く、映画としての完成度が高いことは言うまでもないのだが…
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