[コメント] ファインディング・ドリー(2016/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ストーリーは申し分なく良質。だが、これがピクサーの作品なの?と言うところに来ると、少々首を傾げたくなってくる。
『ファインディング・ニモ』に限らないが、かつてのピクサーには一つのパターンがあった。それは観ている人の心に突き刺さる部分を持っていたと言うこと。単純にストーリーやキャラが良いからだけでなく、作品の中に身につまされる部分があった。
それを具体的に言うならば、主人公の性格が悪い。という点に尽きるのかも知れない。主人公は基本的に欲望に忠実な自分本位に生きるキャラなのだが、それが誤解されてみんなの為に働かなくてはいけなくなり、矛盾や葛藤に苦しみながら、やがて本物のヒーローとなっていくという課程を楽しむ作品だった。そしてその葛藤がとても理解できるため、身に迫ってくるように作られていたという特徴があった。勿論『ファインディング・ニモ』(2003)にもそれはあった。マーリンの自己中心的な考え方が、楽しくもあり、又身につまされるところでもあり。そしてそれがだんだんと修正されていく過程。その辺を楽しむのが醍醐味だった。
それが変わったのはおそらく『トイ・ストーリー3』(2010)からか?ピクサーが続編に力を入れ始めたあたりから、葛藤するキャラが消えていった。少なくとも主人公に葛藤させることを放棄し始めた。ストーリーラインそのものは優れたものであったとしても、それがないため、身に迫る部分がなくなってしまった。
これはとりもなおさずジョン・ラセターという人物がどれだけ力を入れているかどうかの匙加減によってしまうということだろうな。ラセターの監督した『トイ・ストーリー』(1995)からピクサーの快進撃が続き、基本的にピクサー作品の全てにラセターは絡むのだが、ピクサーとディズニーの合併によって、ディズニーの方に力を入れ始めてから、ピクサーは精彩を欠くようになった。
本作はそれが見事に出ている作品で、高水準にまとまった、魂のない作品と言えようか。質は高くとも、ピクサーらしさは最早抜けてしまってる。質の高さだけで評価すべきかどうか。結構迷い所ではある。
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