[コメント] LOGAN ローガン(2017/米)
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X−MEN本編シリーズとは一線を画すこととなった本作は大変特徴的な作風となった。既に滅び行くミュータントを哀愁漂うタッチで描いたこと、ヒーローものでありつつ、ちゃんとロードムービーの体裁を取っていること、そして往年の西部劇に大きくリスペクトされた作品というのが挙げられよう。
この三つについて考えてみたい。
第一に本作におけるミュータントの扱いだが、ここでのミュータントの位置づけは完全に迫害対象である。
これまでのシリーズでもその描写はあった。どの作品を観ても多かれ少なかれ、ミュータントに生まれついてしまったことの哀しみが描かれていたものだ。特にミュータントと人類の対立が主題の一つであった『X-MEN2』(2003)では克明にその迫害が描かれていたものだ。ただこれまでのシリーズでは、ミュータントは生まれ続けており、人類に敵対するミュータントに対抗するのは人類に味方するミュータントがいなければならなかったということから、反発は受けてもミュータントを大切にする空気があった。
だがミュータントが生まれなくなってしまったらどうなるか。それが本作で描かれる事になる。結果は、あまりに陰惨なミュータント迫害へと変化していた。
その中で自身も迫害対象となりつつ、他のミュータントを必死に守ろうとすることが格好悪くも格好良い描写になっていた。それが本来のX−MENの魅力で、そこに原点回帰したということを感じさせられて良い。
第二に本作がロードムービーの体裁を取っていると言う事だが、ロードムービーはちゃんとした映画ジャンルであり、ちゃんと定式がある。その定式というのは、某かのコンプレックスなり、ルサンチマンを持つ主人公が無理矢理旅に連れ回されてる内に、自分自身の弱さと直面させられ、それを乗り越えるのが醍醐味と言う事。
本作ではまさしくウルヴァリンがミュータントである自分自身を、他の誰が認めてくれなくても自分が認めるという過程を通っていく。パターンにはまりすぎとは言え、上手く出来たロードムービーだろう。
第三に西部劇にリスペクトされたという点だが、劇中『シェーン』(1953)の一場面と、その台詞が何度もリフレインされている。それだけ『シェーン』っぽいのだが、そもそもこの作品は、これまでの自分自身の食材を含め、無償で弱きもののために戦うヒーローという定式を作り上げた作品で、本作のオリジンとしては丁度良かったといえよう。
ただ、本作で引用したのは『シェーン』だけとは言えないだろう。むしろ私が見る限り、本作はオールドガンマンを主役にしたペキンパーの『昼下りの決斗』(1962)とかイーストウッドの『許されざる者』(1992)の方に親和性がある(実際原作とも言える「オールドマン・ローガン」はその傾向が強い)。この二作品の共通しているのは、老いた主人公が斜陽となった西部劇を体現していると言う事で、その意味では、これが最後の西部劇という意気込みのようなものを感じるものだが、本作もヒーロー作品としてその役割を担ってる感じがある。まだまだヒーローものの作品は作られていくだろうが、最終的にここに帰ってくるのだという一つの指標となってくれるだろう。
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