[コメント] 東京フィスト(1995/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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形は様々に変わろうとも、これまでも、そしてこれからもボクシング映画は作られ続けていくだろう。それだけボクシングというのは創造意欲を増させるものがある。特に最低の暮らしの中、ルサンチマンの塊の人間が、腕一本で栄光を勝ち取る。これだけで充分映画になるのだから。
本作も、基本路線で言えばそう言ったストレートな物語形式で捉えることが出来るのだが、なんせ作ったのが塚本晋也。一筋縄に行くはずがないのは最初からわかりきっている。
物語自体はとても単純。ボクサーに恋人を寝取られてしまった主人公が自分もボクシングを始め、特訓の末、同じリングに龍。まあこれだけを書いてしまうとどこにでもある設定に見えてしまうのだが、本作の面白さはそこではない。なんせこのストーリーフローは、本当に表面的なものに過ぎない。物語自体でも、恋敵を倒すために、その当の恋敵と同じジムで訓練をするって事自体がまともな精神で出来ることじゃないけど、出てくる人間が大概イカレていて、サディズムとマゾヒズムを同時に満足させてるような部分がある。
それで、本作の趣旨は、やはり肉体改造の快感となるだろう。最初こそ恋敵をぶち倒すために始めたボクシングが、あっという間に目的を変えてしまい、もう女なんてどうでも良い。俺の身体を見てくれ、状態になっていく過程がねちっこいほどしつこく描かれていく。
人間の肉体は鍛えれば鍛えるほど見た目が変化していく。その変化は恐ろしいほどで、それを「美」として捉える人もいるが、その改造の過程そのものをフェティシズムたっぷりに描いた作品なのだ。本作に現れるナルシズム、自分の肉体がみるみる変わっていくことの快感は、ボクシング映画を越え、ほぼ変態映画に近づいている。 ボクシング風景も極端なカットバックと早送りを駆使し、スポーツと言うよりもほぼマンガか特撮のレベルで、楽しんで作ってるなあ。って感じ。
かつて塚本監督は『鉄男 TETSUO』で人間の肉体が機械によって改造されてしまうと言う変な設定の作品を作ったものだが、実は本作もその延長線上で捉えることが出来る。これこそ、実際に出来る人間の肉体改造そのもの。
何にせよ、この人のこう言う作品を観ていると、自分自身の中にあるフェティシズムに目が向いてしまう。だからこそこの人の作品は止められない。
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