[コメント] 六月の勝利の歌を忘れない(2002/日)
社会から隔絶された環境で、目的の遂行の為に、日々努力する、選手、監督、スタッフ達の、をまるで良質のスポーツ映画のように、一人一人キャラ立てしていくのは、まがりなりにもプロの映画監督が編集を行っているからだろう。音楽の使い方にも映画製作者らしき特徴がが窺い知れる。
以下、おもしろかった部分を箇条書き。
トルシエの、ほとんど異常とも言える、選手への感情的でヒステリックな言動は、選手のメンタル・コントロールの一環でもあるのだろうが、それとは別に本当にただ単純に感情的になって怒鳴っているとしか思えない部分も多い。 メンタルコントロールを行っている証拠としては、初戦のベルギー戦の後のミーティングで、ディフェンスでミスをした市川、楢崎を全選手の前で感情的に叱り付けた後に、解散後彼らを残して、フォーロを入れている。そしてトルシエが選手に怒鳴りすぎではないのか反省している。しかし、逆にPKの練習での5秒以内でシュートを打ちつづけろ、といった理不尽な要求はどういう意図なのかさっぱりわからない。 このような監督の振る舞いが、結果的に、選手達にはどれが本気でどれが意図された物がわからなくなって、常に緊迫感を生み出し多大な指導効果をあげたと思われる(怒鳴られる選手にとっては堪らないだろうが・・・)。
最終メンバーに急遽召集した、ベテランの2人が、自ら召集された役割を組んでコメディリーフとして場の空気をずいぶん和ませ、緊張を融和させる役割を最大限に発揮している。
中田は事実上の影の監督として選手全体に指示を出している。ディフェンスにおいてのピッチ上の監督は森岡(彼は、怪我で一戦目以降は、出場できないにも関わらず、ピッチ外で常に指示を出している)。
少なくとも、この作品を見る限りにおいては、監督と選手との間には、同士的な友好以上に隔意が存在したまま最後の解散を向かえている。それが結果的には、いい方向に働いたのだろう。指導者と部下が親睦を図ったり、仲良しになったりすることは、目的達成にはあまり関係ないという一例にはなりえていると思う。「だから日本の馴れ合い社会は駄目なんだ」とは言わないが、これをそういった自説の論拠に使用する人はいるだろうし、その考えには別に反対するものではない。
最後に、元ネタになっている、98年のW杯のフランス代表を扱った作品(ここには未登録)にはかなり見劣りする。
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