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[コメント] ジュラシック・ワールド/炎の王国(2018/米)

バヨナ監督らしさを持ちながらちゃんとエンターテインメントになってるのが驚き。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『ジュラシック・ワールド』(2015)続編。あれから3年後の同じ世界の話で、主人公は前作から続き、プラットとハワードで、文字通り本当の続編となった。

 当初予告を観た際、閉園したジュラシック・ワールドに戻るということで、『ジュラシック・パーク』(1993)に対する『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』(1997)みたいなもんだろうと思ってた。

 だが、監督の名前を見て驚く。

 なんでバヨナ?

 いや、バヨナ監督は確かに質の良い作品を作っている。私が観たのは2作だけだけど、どっちもとても面白かった。

 しかし、監督の出世作『永遠のこどもたち』はモロにホラーだし、『怪物はささやく』だって、相当にホラー性が高い。この監督の面白さって、低予算ホラー向きのもの。

 こんな大作に抜擢され、しかもアクションとか?製作者は正気本気なのか?

 無難なものに仕上がるだろうという予測が一転。一体どんな作品が出来るやらと、実はとても楽しみにしていた。

 事前の楽しみに対してその本編は、予想を超えた面白さと、予想していたより期待外れの面と、双方あって一概に良作と言い切ることは出来ない。

 悪かった部分は、モロにB級ホラーの要素ばかりだと言う事。

 ホラーの中でもモンスターアクションを中心にする作品はパターンがほぼ決まっている。舞台は極端に広い古びた屋敷、もしくは病院で、モンスターが様々な遮蔽物を用いて主人公達を追いつめていくというパターンを使う。

 この作品も半分以上はロックウッドの屋敷での恐竜との追いかけっこに終始してる。  予告を観た限りでは、舞台はジュラシック・ワールド園内で、もっと開放的なものになるのかと思ってただけに、こんなモロにモンスターホラーの絵柄を見せられ、しかもオリジナリティの無い画面ばかり見せられても気持ち的には高揚しない。

 まだ『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』のように街に恐竜を出してのパニックにした方が良かったと思う。せめて前半部の島での活動を半分以上の長さにするとかでも良い。このシリーズは開放的な場所で恐竜が存分に暴れ回るからこそ面白いのだ。単純なモンスター作品に押し込んでしまっては魅力半減である。

 この辺はさすがバヨナ監督と言えなくもない。ジュラシック・パークの定式にこだわることなく、自分の作りやすいフィールドで勝負を賭けたという訳だから。でも、そんな分かりやすいところで見せてほしくなかった。

 もっと違った魅力を見せられたんじゃないかな?

 だが、そんな悪い部分もあるものの、良い部分もしっかりある。

 それは本作ほど、モンスターの精神に共感する作品は無かったと言うことである。  バヨナ監督がこれまでのフィルモグラフィで有名になれたのは、B級ホラーの作品の定式に則った作品を作りつつ、そこにいる人間の繊細な精神を描ききったところが評価されたからと思っている。

 バヨナは単なるホラー作家ではなく、ホラーというツールを用いて人間の本性や、繊細さと言った部分をきちんと描ける監督なのだ。

 モンスターの精神を描く試みはこれまでギレルモ・デル・トロ監督がこだわり続け、ようやく認知されたジャンルを既にものにしている。デル・トロがオスカーを取ったように、バヨナも一流監督として周知されたと言う事は喜ぶべきことだろう。

 前作の『ジュラシック・ワールド』においてオーウェンとヴェロキラプトルの“ブルー”との交流は一つの見所だったのだが、その異種間同士の交流をかなり深く描いてみせた。

 ブルーとの交流は勿論のこと、他の恐竜たちも捕らわれて苦しむ様や、見世物にされる屈辱のようなものもしっかり描いて、ちゃんと恐竜の方に感情移入が出来るように作られている。ヒューマンドラマとして奴隷制を描いた作品のようにも見える。

 そして一番の評価点は、人間と恐竜をつなぐ人物が複数登場すると言う事。

 恐竜は恐竜で、人間は人間でとドラマを分断することなく、人間と恐竜の間の交流を様々な観点で描いている。

 それは例えばブルーと精神的な共感を果たしているオーウェン、恐竜を愛し、なんとかして多くの恐竜を生き延びさせようというクレアとジア、恐竜に対して思い入れよりも恐怖を覚えつつ、それでも恐竜を助けようとするフランクリン、恐竜をビジネスの一環とだけしか見てないイーライ、恐竜に対する思いは人一倍だが、自分の思い通りに恐竜を作りたいと願う禁断のマッドサイエンティストのヘンリー・ウー、恐竜を兵器として考え、どう有効に使おうかと考える軍人達。全員ちゃんと恐竜と関わってるし、どんな形であれ、精神的な共鳴を持っている。

 これはこれまでの作品にもあった部分だが、その部分をかなり拡大しているのが特徴で、今までのモンスター映画にはない不思議な情感を作り出すことに成功してる。

 そして何より、本作で登場したメイジー・ロックウッドという少女の存在がある。当初、モンスター映画によく出てくる、パニックを拡大させる悲鳴役の子役だと思ってたし、事実その側面もあるのだが、実は彼女こそがクローン技術で作られた新人類であることが分かった。彼女の出生はこれまで恐竜を作り出してきた技術の集大成であったとも言えるので、彼女の存在が、物理的な意味で恐竜と人類をつなぐ役割を果たしていた。彼女の存在はそれだけ大きい。

 メイジーが最後に恐竜を街に放ったシーンは、彼女にしかそれはできないことであり、それこそが彼女の役割だったからである。

 その説得力を持たせたことは、この作品がこれまでのシリーズから更にもう一歩踏み出すことを宣言したものとなる。

 願わくばこの続編は、更にハイブリッド種の存在意義というものに踏み込んでいって欲しいと思う。少なくとも本作はその道を開いている。あとはそこに踏み出せるかどうかだ。

(評価:★4)

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