コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ワイアット・アープ(1994/米)

頭では意味合いが分かるのですが、肝心なことで全然面白く感じなかった。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アメリカ人にとって実在の人物としては最大のヒーローの一人、ワイアット・アープを描いた作品。

 「最大のヒーロー」と言われるだけのことはあり、アープを描いた映画は数多い(代表作だけでも「荒野の決闘」、「OK牧場の決闘」の2本の名作があるが、細かいのを入れるといくらでも出てくる)。そしてOK牧場の決闘についても数多く描かれている訳だが、これも時代や監督によってもアープや相棒のドク・ホリデイの人物描写も、決闘の描写もそれぞれ異なる。時にそれは文芸調に、時に純粋なアクションとして。それに連られるようにアープの描写も豪放な人物としても、繊細な人物としても色々描かれている。  その上で本作を見てみるならば、映画史の上でなら、本作は評価できる。

 本作で描かれるアープはとても生真面目で、あたかも義務を果たすためだけのためのように淡々と仕事をこなし、それを追っている事がわかる。このアープは決して元からのヒーローではなく、仕事として事件を解決したことで、結果としてヒーローにさせられた人物となる。

 あたかも公務員のような(実際シェリフは公務員には違いないけど)性格で、目の前にある公務をこなしていくだけ。

 映画史を念頭に置いて本作を観てみると、なかなか興味深い。

 1950年代。映画の黄金期と呼ばれた時代。これはヒーローがヒーローとして存在していた時代でもある。アープは無法者を懲らしめる正義の人として描くことが出来た。多少暴力的でも、それが「男らしさ」として受け取られ、「悪は許さん」という強烈さをアピールできた。

 その後ニューシネマの時代になると、ヒーローの脱構築が図られていくことになる。これはつまり、従来のヒーロー像というものを一旦破壊し、側面から描くようになっていく。この時代に作られるアープ像は正義からはかけ離れた人物として描かれていく。それは単に暴力的であったり、変に感傷的であったり、むしろ人間的な側面の方を強調した作りになっていく。

 この二つの時代を経た上で作られた本作は、それらにとらわれない全く新しいアープ像を描こうとして作られたのだろう。その結果、全く面白味のないアープが出来てしまったが、この姿こそが時代が作り上げたアープなのだろう。

 …と言うことで、映画史的な意味ではきちんと理解できる作品ではある。

 しかし、それで面白いか?と言われるとそれは別な話。はっきり言って「久々の西部劇」を観にいったら、延々サラリーマン生活の描写を見せられたようなもの。それを楽しめるか?と言われると、少なくとも私はぜんぜん楽しむことが出来なかった。退屈なのはまだ良いけど、とにかく長いのには参った。まだ私はビデオで観たから良いけど、これ実際劇場で観たら寝ていたかもしれない。いくら映画史的には理解できると言っても、心情的にはこれはクズのような作品だ。

(評価:★1)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。