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[コメント] フリー・ガイ(2021/米)

AIが自我を持ったら?という古典的なアイディアを丁度良く映像化出来てる。色々感心出来る作品。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 2020年の新型コロナウイルスの流行によって本作の公開は遅れに遅れ、ようやく2021年も半分を過ぎた頃になっての公開。大変待たされた。

 確かに待たされたが、本作は期待に充分に応える内容の作品だった。

 メインストーリーに関してはかなり単純である。フリー・シティのモブキャラだったガイという男がモロトフ・ガールという女性に一目惚れしたことから自我を持ち始め、このゲームのシステムを理解してモロトフ・ガールを助けて彼女の目的を果たすというもの。ストレートな物語をキャラと演出で引っ張っていっている。これだけだと、実に普通の作品であろう。ゲームの中の世界だけに、通常では出来ないような演出もあるし、ゲームとか他の映画とかに出てくるアイテムやキャラを出したりしてマニアへのサービスもある程度(キャプテン・アメリカの盾が出てきた瞬間にクリス・エヴァンスが大写しになったのは嬉しいサービスだった)配慮され、上手く出来た作品だと思う。

 ただこれだけであれば、私も高得点を上げるつもりはない。それを前提として、そこからのプラスアルファが素晴らしいのだ。

 ゲームキャラが実際に自我を持ったらどうなるか?というテーマ自体はSFではお馴染みで、昔から作られている。小説や漫画だと枚挙に暇がないが、映画では『トロン』(1982)が有名だが、他にも『ターミネーター』(1984)や『マトリックス』(1999)、アニメでも『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)など、それなりに作られている。それを肯定的に作るか否定的に作るかも含め、それを前提にして、そこからどう物語を作っていくのかが重要になる。そこが意外に難しい。

 なぜならば、自我を持ったAIというのは並のつくり方であればAIである必然性が無くなってしまうのだ。

 それで本作はその設定を面白い方向に持って行った。

 それは三つあって、一つは犯罪犯すことが普通の世界の中で、自分の意思で良いことをしようとすることだった。この世界では眼鏡を掛けた人物は位が上がり、一般人には見えないアイテムを得る事も出来るし、自由度はぐっと増す。アイテム次第だが、空を飛ぶことも出来るし、SFチックな武器も持てる。更に登場人物を殺しても翌日には元通りになってる。好き放題が出来る世界の中でガイは人のために尽くすことを選択した。この部分がまず面白い。

 同じ日常を強制的に繰り返す作品は映画でも何作か存在するが、何でも出来るからこそ、逆に自分勝手にではなく人の喜ぶことをしようと言う設定は『恋はデジャ・ブ』(1993)に準じていて、そのストーリーを選んだことがなんか嬉しい。

 そしてゲーム内の人のためにガイが行ったのは解放だったというのがもう一点。それはガイは最初に自我を持ったAIだが、それは唯一の存在ではない。彼を元にしてゲームの舞台であるフリー・シティのみんながそれぞれ自我を手に入れるようになるということで、これは『リオ・ブラボー』(1959)的な解放の物語でもあるのだ。

 自分たちは自由な存在だと思っていたフリー・シティの住民達だが、実際はプログラムによって行動が決められていて、その範囲内でのみ自由が認められ、本当の意味での自由というのが分からなかった。毎日が同じ生活で労働し、時にゲームプレイヤーに打ち殺されることもあるが、翌日は全く同じ一日が始まる。一日で全てがリセットされる訳だが、フリー・シティは特別なプログラムがあって、記憶が継承されている。その蓄積が自我の発露によって一気にユニークなものとなっていく。その反響が面白い。

 これは自由の定義を人々が学び取っていく古典的な社会派物語に通じる。多くの作品では尺の都合上一足飛びに自由の理解が広まってしまって嘘臭くなるのだが、本作の場合はゲームの中で何度も何度も同じ時間を繰り返すことによって蓄積されたものが一気に噴き出すという側面があって、説得力が増してる。

 そしてもう一点がガイの自由意志が本物になっていくまでがちゃんと分かるように作られていること。

 本作は実は主人公が三人いて、ガイとモロトフ・ガール=ミリーともう一人、プログラマーのキーズという男が存在する。彼はしがないデバッカーをしているが、実はフリー・ガイの根幹システムを作り上げた天才プログラマーであり、彼のいたずら心によってガイの自我が形成された。ガイが自我を持ったのは、モロトフ・ガールに一目惚れしたからだが、それ自体がプログラムに組み込まれていたことが明らかにされる。

 つまりガイがモロトフ・ガールに惚れることは最初から予定されていたこととなるので、ガイの自我自体がプログラムの延長ではないのか?という疑問が入ってしまう。どれだけ個性を持ったとしても、あらかじめ決められていたならば、それは本当の自我になるのか?

 その答えがちゃんとラストに用意されている。物語的に言うなら、ガイとモロトフ・ガールは結ばれて、現実と架空を結びつける恋愛が始まるという風にした方がすっきりするのだが、現実にはモロトフ・ガール=ミリーは現実世界でキーズのプロポーズを受け、ガイとは別れてしまう。これによってガイの最初に与えられたアイデンティティは崩壊してしまう。なんせ最初のプログラムでは、ガイはモロトフ・ガールと結ばれることだけが唯一の目的だったのだから。ところが振られてそれで終わらなかった。ガイは立ち直るのだ。これはプログラムでなされることではない。これによって、ガイは真の意味で自我を得た。肉体こそ持たないものの、完全な人間としてこの世界で生きていけるようになる。これは大きな希望である。

 だからこのラストはこれでいいのだ。すっきりした後味と実感を得られた。これこそ好みの作品だ。

(評価:★4)

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