[コメント] 召使(1963/英)
初めて観た時に、彼の視線に感じたのは「生理的嫌悪」だった。再見した時に、その嫌悪感は「不安」に拠るものであることに気付く。あたかも裏側を見透かし、人々が縋っているモノがいかに脆いかを知っているかのように、濡れた瞳で、静かに冷笑を浴びせる。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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鏡の中の像が歪んだ瞬間、自分とは違う自分が映し出させる。その鏡は何を映し出しているのだろう。見てはいけないものを見てしまった、という不安にも似た感覚。
階級逆転劇ということでイマイチピンとこない世界のはずだが、ここには勝者と敗者の関係などない。逃れられない種の諦念すら感じさせる醒めきった空気の中、惰性のようにけだるく続くSM劇。「支配するもの」と「遣える者」という構図は、この映画の中では社会的な既成概念やモラルなどを経て、そのまま「理性」とその裏側にある「本能」の関係にまで至っている。
この映画の後味の悪さは、召使の残忍さや表向きの逆転劇からくるのではなく、繕った体裁を裏返した時点で、いかに自己の存在に恥じ入っているかを知ってしまうことにあるのではなかろうか。
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