[コメント] どん底(1936/仏)
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男爵は公金横領、つまり嘘がばれて、木賃宿のどん底の世界へ流れてくることになる.結果的に男爵は木賃宿に居着くけど、彼はそこで本当の自分を見つけたからなのね. 男爵に言い寄ってくる女たちは金目当ての嘘つき、でも本当に彼を好きそうな女が. 男爵の忠実な召使は、家の備品をくすねていた. 木賃宿の若い女は、小説の出来事を自分の本当の体験のように、皆に話す. 死後の世界が天国かどうか.アル中の役者に大きな街の病院へ行けば、病気が直るというけれど、さて、それも本当かどうか.結果っとして役者は、見事な演技(嘘)をして、本当に首をつって死んでしまう. さて、嘘と本当はこれくらいにして.故買の木賃宿の主は、自分の身を守るために、妻の妹を警察署長にプレゼント.連れ戻された妹に乱暴する木賃宿の主を、泥棒の男は殺してしまう.
泥棒の男の出所を待って、妹と男は、どん底の世界から旅立つ.道端で休む二人の前を警官が通りすぎるけれど、男は泥棒を止め、何も心配することはない. 妹は男の出所を待っていた、つまり、女の身を守るために、人を殺すことは許されるけど、でも、泥棒の男を好きでも一緒になるのを躊躇った、つまり、泥棒は許されない.と、言うことになるのでしょうか.彼女、酔っぱらって好きでもない男に身を任せようとする.いくら好きでも泥棒よりは、嫌いな男の方がまし. 男爵を書き加えれば、彼は本当なら刑務所送り.温情によってそれを逃れてどん底の木賃宿へ来たのだけど、まだどん底の方が刑務所よりはましなのか.軽いタッチの描き方に思えたけど、ジャン・ルノワールらしく、きちんと目的を持って脚色しているのね.
私は、この映画、のっけからちょっと変だなと感じたのは、どん底の生活をおくる泥棒.どん底の境遇から泥棒をするのは分かるけれど、泥棒をしながらも、どん底の生活をしているのが変.普通は、泥棒ってけっこうそれなりに優雅な生活をしていて、警察に捕まってどん底に落ちるもの.こう考えると、この泥棒は芸術的ペテンらしい. 男爵の横領も、泥棒も実は同じこと.いつばれるのか、いつ警察に捕まるのか、怯えながら生活しているのは、どちらも同じなのね. 私は泥棒ではないけれど、あなたはどうですか.きっと、泥棒がこの映画を観ると、初めは、泥棒よりも男爵の方が自分に思える.なぜって、どん底の生活をおくる泥棒なんて理解できない.むしろ、悪事をがばれてどん底に落ちる男爵の方が、泥棒にとって、自分に合致するはず.
河原で寝そべりながら、泥棒と男爵の会話. 「刑務所に入ったことは」、「ない」、「入れば服が一着増えた」確か、こんな会話だったと思うけれど.もし、泥棒をしている人がこの映画を観ると、きっと、この会話で、男爵、泥棒、どちらもが自分に思えてくるのでは. そして、その後はと言うと、泥棒をしている人にとっては、どん底の生活に身を落とす男爵は嫌、なんとかしてどん底から抜け出そうとする、変な泥棒の方が自分にとって都合が良く思えて来るのじゃないのか.
普通はね、泥棒にしろ横領にしろ、悪事をはたらく人を描くと、最後は地獄へ落ちろ、に、なってしまうのね.フェリーニの崖は典型的、陰湿のかたまり.地獄へ落ちろは、泥棒にしてみれば脅迫、そして絶望を与えるだけ.芸術は、脅迫して絶望を与えるものでなく、信頼、夢、希望を与えるもの.
この映画は、泥棒と男爵の友情、信頼から、本当に泥棒をしている人に、夢、希望を与える、言い換えると、いつまでも警察に怯えることをしていないで、好きな人と一緒に幸せな生活をすることを考えなさい、こんなふうに、優しく語りかけるように構成されている、ここに芸術性を秘めた作品なのね.
だけど、泥棒が泥棒をしながら、どん底から這い上がる.うーん、あの馬の置物、男爵は死ぬ気だったものだから、気前よく泥棒にあげたのだけど、本当は抵当物件をくすねた物.差し押さえの管財人が、目録を見ながら差し押さえて行くけれど、最後は部屋の真ん中に、ぽつんと椅子を一つ残していった.人をくったシナリオを人をくった演技で観せる.まいった.
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