[コメント] ラ・マルセイエーズ(1938/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ラ・マルセイエーズ、この映画の作られた沿革をまとめておきましょう. 第二次世界大戦勃発前のフランス、ドイツの侵攻を控えて、人民戦線が、戦意高揚を計るために、ジャン・ルノワールに依頼して作った映画.書き足せば人民戦線は、共産主義、ソ連のスターリンに近い立場を取っていたらしい.それに、ルイ16世の役を、兄のピエール・ルノワールがやっている、この点も少し注意としておきましょう.ルイ16世は、アメリカの独立戦争に際してアメリカを資金援助し、フランスはその結果財政難に陥り、この映画に描かれるフランス革命に繋がったのです.
さて、映画に入りましょう. 「大義名分は捨てなさい.武器をおけば平和な暮らしが出来る.戦えば悲劇が続く」これは最後まで城を守り続けようとする兵に向けた、アルノーの言葉です. この映画全体が、なにを言おうとしているかというと、「降伏しなさい」、観る者に対してこう言っています.
ドイツの侵攻を前に戦意高揚を計る、ソ連寄りの立場を取る人民戦線に対して、「負けると分かりきっている戦争はやめて、とりあえず降伏し、アメリカに助けてもらおう」、この様に呼びかけているのです.
更に言えば、山に隠れていたアルノーとボーミエは、酒だるに隠れて城に侵入します.ゲリラ活動、地下運動、レジスタンスを意味していると、思えます.
もう一つ、先のアルノーの言葉のすぐ後、撃たれたボーミエ、恋人のルイゾンの腕の中で息を引き取る、ボーミエの死はどの様なものなのでしょうか.彼の死は犬死に、つまり無価値.けれども、その無価値の一人の死の重み、それは戦争全体の無価値、その事実を証明するに充分なものと思います.ジャン・ルノワールは人一人の死の重み、それを克明に描きあげることにより、すべての戦争の無価値を現しました.ボーミエの死は、「おい、なぜ撃った」と、観る者に対して、いつまでも反戦の意を訴え続けるのです.
ボーミエの死に至るまで、それまでに描かれるシーンは、どういうものなのかしら.敵も、身方も、ほとんど皆、良い人に描かれる.そして皆、戦うのは嫌だ、嫌だ、こう言っているように描かれているのでは.あれこれ互いに話をしながら、剣を交す.嫌になったら、いつ止めても良い.負けそうになったら逃げ出せばいい感じ.少し見方を変えれば、嫌だ、嫌だ、こう言いながら、戦っている.
でも、これって当然の事なのね.映画に描かれるとおり、敵、身方に別れていても、互いに、家族もあれば恋人も居るのだもの.だから、この映画、当然のことを当然の事の様に描いているに過ぎない.
さて、ボーミエの死、その捉え方の一つは、先に書いたのだけど. 「殺されても、おれは人を殺すのは嫌だ」、もう一つの捉え方をすると、こう言っているように思える. こう考えると、ボーミエの死は、この映画を観る人の心の中で、戦争は嫌だ、嫌だ、という心と、一つになるのではないかしら.人の心の中で、強く反戦の意を問う映画だと、思うのだけど.
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