[コメント] 手錠のまゝの脱獄(1958/米)
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当時のハリウッドではかなり珍しい人種差別をテーマに取った作品で、クレイマー監督の野心作。クレイマーはそれまでは製作者側であり、『真昼の決闘』など社会派を絡めた娯楽作品をヒットに導いていたが、監督業に乗り出してから積極的に差別問題を映画作りに取り入れていく。本作はその代表作と言って良い。本作で主演したポワチエにとっても本作は出世作であり、以降のフィルモグラフィのために大切な作品だったことが分かる。 当時のハリウッドでは実は人種差別問題は映画になりにくかった。差別意識の問題ではない。これに限らず社会派的なリベラルな作品全体が作られにくかったのだ。他でもないこの少し前にハリウッドに吹き荒れていた赤狩りの余波によるものだ。1955年には一応終息したとは言え、まだその余波が残っている中で本作を制作した監督の決断を褒めたい。
人種の違いから反発しながら、それでも手錠でつながれている以上お互いに逃げられない二人の逃走劇とは、いろんな作り方ができる。深刻な重いのも、コメディとして作る事も出来るだろうが、本作はそれらどの要素もほどよく取り入れてちゃんとエンターテインメントになっているあたり、監督のバランス感覚の良さもうかがえる。
でも本作の最大功労はカーティスとポワチエという二人の主人公だろう。この手の作品だと一方的な視点から、どちらかが正しくどちらかが間違っているという構図に取りがちだが、バディの二人がお互いに良いところもあり悪いところもあるという設定に取っていて、二人ともそれを受けてきちんと役をこなしているためにとても自然に見えるし、正義の押しつけになってないところも評価高いところだろう。
正義の押しつけにはなってないが、少なくとも人種問題について考えさせられる内容にはなっているので、観終わってみると色々頭使ってしまうところも面白いところか。オープニングとエンディングには全く同じ曲が使われているそうだが、それが全く違って聞こえてくる。劇中色々考えるせいだろうな。
あと、これは本で読んで納得したことだが、本作の面白さというのは、多民族が同じ空間で生活しなければならないアメリカという国そのものを示すからだとあった。なるほど本作が名作と言われる理由はそこにあるか。
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