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[コメント] 私家版(1996/仏)

原作と映画の補完しあう関係。
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ちょっと断っておくとこの映画を観たのも小説を読んだのも10ヶ月ほど前なんで少々記憶があやふやなところあり。だから勘違いや誤認があっても許してね。

原作vs映画化作品というテーマは永遠。有名どころでは原作者が監督に対して不満を隠さなかった『シャイニング』なんてのもある。キューブリックのセンスvsキングの才能。この場合は根本的な部分(ホラーの要素)で対立が見られるので和解の余地は限りなく少ない。が、この話はまた別のreviewで。『私家版』の場合は原作と映画の間に差異があっても対立しているとは思えない。映画化に当っていろいろと翻案してあって大筋では一致してても細部ではかなり食い違ってくるところもある。ところがそういった差異が観客に好みの選択を強いていないのだ。もちろん「原作のほうが優れている」という人も「映画のほうがスタイリッシュ」という人もいるだろうけど、個人的には両方とも大いに楽しめると思う。しかも観客に選択を強いるはずの差異ですら共存し補完しあうものとして受け入れることもできるし、そうすることによって不思議とこの『私家版』という作品の魅力が増すようにすら感じられる。

双方に通じるのは“怨念”だろう。怨念がある事件の発覚によって、爆発してエドワードを復讐に駆る。ただし、爆発音は非常に静かで周囲には聞えないが。この事件、つまり昔の恋人の死の原因がニコラにあったことは同じである。ただ異なるのは原作ではニコラとエドワードが幼少の頃からアレキサンドリアにおいて近しい仲だったことだ。映画のほうではそういった過去の関係は薄れ(もしくは削除され)編集者と作家という職業的な切っても切れない関係の範囲に留められいる。原作における金銭的にも容貌的にも文学的才能(この点はエドワード自身は認めてないが)でもエドワードに優っていたニコラに対するエドワードの想いは、憧憬と嫌悪の間を揺れ動く。自我が強く利己的でエドワードを当然のごとく引き立て役のようにみなすニコラ。その傲慢不遜なニコラに対するエドワード少年の感情の“恍惚と不安”は己の才能の限界に気づき始めた文学青年の瑞々しい絶望感とどこか初々しい自虐的なエロスが漂っている。そのエドワードの優柔不断や甲斐性のなさに観客は焦燥感にも似た苛立ちを感じると同時に思わず優しく微笑んでしまうのではないか? その微笑には自分自身の喪われた青春期への淡い哀しみが浮かんでいるはずだ。

映画の見所は復讐の過程だ。その周到な準備、対戦中に暗号班に属していた経験に基づく緻密な技能が製本作業に発揮される過程はどこかフランスの偉大な作家ロベール・ブレッソンの職人芸に対する執拗なこだわりに通じるものを感じる。それと復讐の仕上げでニコラを狂気に陥れる巧みさ。ところで原作の見所は復讐の理由ではないか? 復讐の原因は同じでもエドワードとニコラの少年期から連綿と続く奇妙な関係という復讐の理由が心に残る。ニコラはその端正な容貌と押しの強い性格で次から次に美しい女性を物にする。さらには女性を惹きつけるにはもってこいの空軍での華々しい英雄的な活躍。外交官としての尽きることのないアバンチュール。文学的には鳴かず飛ばずだったが、ここにきてゴンクール賞の受賞。文学的名声。全てを持つ者ニコラ。持たざる者エドワード(もちろんエドワードはsirの爵位を受けているし出版業で成功しており充分な金銭も社会的地位も獲得している。しかしもともとエドワード少年が文学青年だったことは考慮すべきだろう)。しかしこの対比にしても筆致は至って物静かでけれんみはない。エドワードの生涯をかけて蓄積してきた劣等感と嫌悪感にしてもあからさまに描かれてないが、その火山の噴火の予感にも似た不穏な空気を漂わせつつも見事に強靭な精神力で自制されているさまはテレンス・スタンプがはまり役で演じている。そして持つ者ニコラが持たざる者エドワードから“人生”を奪っていたことをニコラの最高傑作の小説で知った時、静かなしかし完璧な復讐が始る。ニコラはエドワードの恋人を力ずくで奪い、恋人の命を(間接的に)奪い、エドワードの過去を奪い、女性を愛する心を奪い、文学的才能を奪い、未来を奪い、つまり人生を奪っていたのだから。

映画においては昔の恋人に瓜二つの女性が登場する。彼女がどういう血縁だったか忘れてしまったが、この演出にはベルナール・ラップ自身が持っている人間としての優しさとエドワードに対する暖かい眼差しを感じる。しかしそれを登場人物であるエドワードは拒否してしまう展開なのだ。それが著者の意図を重んじることによる原作に対する敬意というものであろう。だがその控えめの謙虚さによってこの監督にますます惹かれるものを感じてしまうのだ。

(評価:★4)

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