[コメント] 甘い生活(1960/伊=仏)
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フェリーニ監督作品はいくつか時代によって変化が見られるが、本作は一つ目の転機となった作品とも言われる。折しも本作は丁度フランスでヌーヴェル・ヴァーグが起こってきた時に作られたためか、これまでの価値観をぶち壊し、常識を超えたところにある生活の中でのただれたような空虚な祭りが延々と続く。映像で言ってもあえて登場人間に答えを言わせず、ショットの連続と暗喩で観ている側に考えさせるようにしたのも特徴だろう。 とはいえ、本作は複合的な意味で、やはりフェリーニらしさにあふれている。
フェリーニのローマに対する思いいれ。これは「昔は良かった」という懐古趣味でも、「こうあるべきだ」という指導的な立場でもなく、「いまのローマはなんだ!」と怒るわけでもない。古くから連面と続く歴史を含め、今のローマを愛していること。今が狂乱の場にあるならば、一歩引いたうえでその狂乱を愛そう。という姿勢で貫かれていること。描写には多少の誇張ももちろんあるだろうが、フェリーニの精神的な若さというか、柔軟さを常に持ち続けたフェリーニの感性がなせる業だろう。
それと、フェリーニ作品に貫かれている、様々な状況における主人公の心の動きが主眼となっているのも大きな特徴。マストロヤンニ演じるマルチェロが観ているのはそのまま心象風景につながり、虚しさの目で観る空疎な空騒ぎが、自らがそれにはまりこむことで瞬間的に精彩を帯び、祭りが終わると空疎に戻る。やっぱりこれあってこそのフェリーニだろう。
もう一つ付け加えると、この作品が最初になるのだそうだが、巨大な女性に対する愛着。一種のフェティシズムなんだろうが、以降は必ず登場すようになっていく。本作でのエクバーグの存在感には圧倒されてしまう。
作家性の強い映画監督は、どのように作っても、やはりこの人しか作れないものを作ると言う好例といえようか。
ちなみにパパラッチという言葉はこの映画の登場人物パパラッツォに由来する。ここに登場する人物像は極端に戯画化されているが、それが今や当たり前になったのは隔世の感があり。
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