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[コメント] カイロの紫のバラ(1985/米)

映画好きにとっての天国と地獄が描かれた作品です。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 アレンはしばらく純粋なコメディとは離れていたものの、一旦作ってみれば、やはり手堅い作りで、さらにアレン流のシニカルさを上手く演出していた。映画の中からスターが出てきたら?映画好きにとっては夢のようなシチュエーションだが、舞台をあえて30年代にしたのは、映画が娯楽の中心であり、映画館には魔力があった時代だったからだろう。今がそうでないとは言わないけど、かなりそれは限定されている。故にこそ、本作はかなり狭い映画マニアにとってはたまらない作りとなっている。それは何も映画の中から本当に登場人物が現れて、映画を観ている私に恋すると言うシチュエーションだけではない。むしろ、現実世界での辛さを、映画によって癒されるという彼女の日常生活が身につまされるのだ。事実として私自身はかなり日常を生きることが苦痛でもある。周囲に何人か親切な、配慮できる人がいても、仕事上大きな失敗もなく生きているとしても、やりがいはあったとしても、やっぱり仕事はストレスがたまるし、落ち込むことも多い。実は人と話すのも苦手だ。

 そんな私が曲がりなりにも社会生活を送っていけるのは、生活の中に逃げ込む場所を持っているからに他ならない。破滅的な、あるいは危ない趣味は除外するとなると、映画が最大であり、私自身これをマインドコントロールの手段として使ってる。どんなにきついことがあっても、映画観たら忘れられる。長いことそう自分に言い聞かせている内に本当に依存症に近くなってしまったくらいで(笑)

 こう言う人間は彼女がよく分かる。本当に一緒なのだから。だからこそ身につまされる。  少なくとも、映画を観ている時間はすべて現実世界を忘れることが出来る。一旦自分自身をリセットして新しく生活を始めることが出来る。それ以上は求めてないはずなのだが、それ以上のものがやってきてしまった、と言うのが本作。戸惑って然りだし、さらにいたたまれない思いになるのは、普通の人以上ではないかと思う。

 だが、作品はその“いたたまれなさ”を最後に見事に裏切ってくれる。私自身一瞬唖然としたのだが、次の瞬間には「なるほど。これで良いんだ」と再認識。

 映画とは、現実世界で生きるための活力なのだから、生活全体が映画に彩られてしまっては本末転倒なのだ。映画を観ている間は夢に生きても、それが終われば、日常生活が待っている。その事をはっきり思い知らされるのも重要である。

 ラブロマンスものはさほど好きとは言えないけど、これくらい辛口だと満足。

 難を言えば、やはりアレン作品特有のあっさりさがちょっと鼻についたことくらいか?

(評価:★4)

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