[コメント] ロシア52人虐殺犯/チカチーロ(1995/米)
はじめに言っておくと,この映画は現実にソビエトで起こった連続少年少女殺人事件を題材にしている。
うむ。こういう書き方は不謹慎かもしれないが,意外にもなかなかいい映画だった。殺人犯を題材にする映画ってことなので,「どうせ犯人の狂気をこれでもかってくらいに見せるんだろー」などと思っていたのだが,映画のテーマは違ったところにあった。この映画の主人公は,明らかにブラコフとフェチソフ少佐だ。二人がさまざまな困難を突破していく様子がこの映画の最大の見所だと思う。犯罪映画ってよりは,刑事物なんだなあ。ブラコフは熱血的な人物だ。事実を事実として主張する。かっこいい。しかし本当にかっこいいのはやはりフェチソフ少佐ではないだろうか。したたかに生きていくことのできる人が一番強くたくましく,かっこいいのではないか。そう思った。官僚システムの奥深さを知らず何かと問題を起こすブラコフを,フェチソフ少佐はたびたびなだめる。かといって,少佐に情熱がないわけではない。少佐は官僚システムを知り尽くしている。情熱をもっともうまく形にするために,時に迂遠な方法をとっているだけなのだ。自分が何をすることができて,何をすることができないか。そして自分が何をしたいのか。これらのことを自覚して行動することのできる少佐に思わずあこがれてしまった。
後はつけたしでちょっと考えたことなど。ソビエトの社会変化が捜査の進展に直接に影響しているのが興味深かった。事実が,思想や社会状況によって変形されていく。いや,この言い方はまずい。ありのままの事実などない。どれだけの少年少女が目や性器を抉り取られ,捨て置かれていたとしても,それは事実ではない。連続殺人犯が共産主義のソ連にいるという事実なのではない。思想や社会状況というものが現実に事実を作り出していくということがどんなことなのか,少しだけわかったような気がした。そして,こうした事実構成作用の一端を,もしかすると自分は担っているかもしれないということについて,自分自身はどれだけ自覚的だろうかということを考えた。それと,1980年前後の段階ですでにマフィア(ガングという発音だったように思う)という存在,より適切な言い方をするならばマフィアという概念がソビエトに存在していたらしいことが分かった。マフィアは共産主義でもそれが存在することを認められているのだろうか。
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