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[コメント] グリーン・ベレー(1968/米)

「我々は君のために戦っているのだよ」この一言に本映画の全てが詰まっている。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 戦争中、その実際に行っている戦争について映画にするというのは、第一次、第二次大戦を通して行われてきた。それらの作風は基本的に映画を作っている当事国が、今行っているのは正義の戦争であり、自分達は正義の執行者である。という事を伝えるために作られた、いわゆるプロパガンダ映画となる。これによって視聴者に戦争の悲惨さを越えてもやらねばならないことを印象づけ、更には若者に志願を促すという役割を担う。

 その伝統的な手法を本作でも使っている。

 アメリカ軍はヴェトナムという国の平和のために派兵している。だから現地の人達も仲良くやっているし、感謝もされている。これによって戦争は早く終わるはず。しかし平和を良しとしないヴェトコンは、戦争を長引かせるためにゲリラ戦を挑み、軍ではなく、軍に協力する民間人を虐殺している。彼らを救うためにはもっとあなた方の協力が必要だ。とまあ、見事なまでにテンプレートなプロパガンダ手法である。ラストのウェインの台詞が「我々は君のために戦っているのだよ」というのがとどめだな。

 この善し悪しはここでは述べない。しかし、このテンプレートは、アメリカ国民は四半世紀ほど前に散々目にしており、それがどれだけ現実から離れているのかを見せつけられてきていた。その記憶がまだ残っていたのだろう。同じ手法では心を動かすことが出来なかったようである。

 何せ1968年と言ったら既存の常識を吹っ飛ばすニューシネマ流行り。翌年には明らかにヴェトナム戦争のカウンターである『イージー・ライダー』(1969)が大流行するようになる時代である。そんな時に「これは正義の戦争ですよ」なんて言われても「はいそうですか」とは言えない時代である。明らかにこの作品、映画としては作る時代を間違えてしまってる。

 しかも本作はジョン・ウェイン本人が監督していると言う事もあってか、非常にパターンがパターンに則った西部劇風になってしまった。いつものウェイン主演作を、姿格好を変えただけで作ったと言った印象であり、しかも前の監督作である『アラモ』のような韜晦もなし。性根の真っ直ぐなヤンキー魂をストレートに描いていて、それも時代に合わなかったことの問題だろう。

 ただ、ウェイン自身そのことは痛感していたことではないかとも思う。既に西部劇を始めとして、これまでハリウッドが培ってきた技法は時代遅れとなってしまった。しかしそんな目新しいだけの作品ではない。旧来の手法で本当に面白いものを作ることは自らの義務であるという使命感もあったのではないだろうか。そう考えると、本作はかなり悲愴な覚悟で作られたものと思えてもくる。その意味では自爆覚悟の潔さすら感じられる。

 尚、戦車やヘリコプターなどを調達するため、ウェインはジョンソン大統領に手紙を送り、それで本当に軍の協力が得られたという凄い事実もある。映画としては決して成功ではないが、アメリカという国にとってウェインという人物がどれだけ重要だったかが分かるエピソードだ。

(評価:★2)

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