[コメント] 硫黄島の砂(1949/米)
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ウェインが持つ理想は、「アメリカ人最高!」「武力で得る民主制こそが正義である」というものではない。アメリカ人が持つ、あるいはもって欲しいと願っているスピリットを描くことにある。
ウェインは古くから一貫してアメリカの神話を作ることに精力を注いできた人で、彼の主演作の大半は理想的なアメリカ人の姿が描かれていく。その“理想的アメリカ人”というものの姿は、表面的には粗野でぶっきらぼうなだが、自分のしたことに対しては、それが正しくても間違っても全て自分が責任を持ち、そういう形で家族を引っ張っていく。そんな家長の姿を理想型とし、その姿を、自分自身で体現して見せている。
これは演技者としては本当に立派なことだと思う。ただ、すべての映画で同じことをやっているのが問題で、たとえばこんな戦争映画でもアメリカ神話の体現者たり得ようとしているため、ものすごく一方的な話になってしまう結果となった。
別段ウェインが日本が嫌いとかではない。ウェインが描こうとしているのはあくまでフロンティアスピリッツそのものであり、ここでの日本人はそれに対抗するもののため、粉砕されるべき役割を担わされてしまっている。本人に偏見が無くても、出来た作品が偏見に満ちた作品に見えてしまうのも皮肉なものだ。
最後の有名な硫黄島の旗揚げのシーンは、本作の象徴的な一コマだろう。銃弾がまだ飛び交う中、カメラマン以外誰も見ていなかったと言われるあのシーンを、まるでそれ自体が目的だったように描いているのは、ウェインにとって星条旗高揚とは、まさしくフロンティアスピリッツの勝利を示す一コマだったから。ここに思いが込められているのではないだろうか。
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