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[コメント] 最後の誘惑(1988/米)

この映画のイエス解釈に目からウロコが落ちた。そうだよね、そうこなくちゃね。それならオッケー。(2002.04.23レビュー変更。マンガ版「百億の昼と千億の夜」読みました。)
4分33秒

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







…聖書を読んでいて、一番強く「なんで?」と思う点、即ち「神の子」「神自身」であるはずのイエスが死に際に「神よ!神よ!どうして私をお見捨てになったのですか!」と叫ぶこと、そしてその後なぜか「成し遂げられた(成就した)」と言って息を引き取る、という謎に対し、もちろんフィクションではあるが、ひとつの解を与えている。これがまず単純に面白いと思った。

…しかしつまるところ、私がこの映画を気に入ったのは、私が既に高校生のときには持っていた「キリストは神のミュータント、操り人形に過ぎず、本人に聖人性は全くない」というキリスト教観を、映像化して見せてくれたから、という、幼稚な自己満足によるところが大きいかも知れない。

キリストが凡人として描かれるならば、聖書では問答無用の悪者たるユダの立場もまた逆転する。ハーベイ・カイテル演じる赤毛のユダ、彼こそが登場人物中もっとも誠意ある人間なのである。聖書にあるような薄っぺらい「裏切り者」的な描かれ方が大っ嫌いだったので、このユダ像は気にいった。聖書よりも「ホント」っぽい。

-----ここから先はマンガ版「百億の昼と千億の夜」のネタばれがあります------ -

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この映画より後に、光瀬龍・萩尾望都のマンガ版「百億の昼と千億の夜」を読んでみたが、確かにスゴイ展開だ。行くとこまでイっちゃってる。ただしキリスト教が仏教的世界より「下」に位置しているという世界観や、キリストを完全な悪人にして喜んでいる点など、設定が大人げない。言っては悪いが、「コートームケイ→(c)藤子不二雄」という言葉が脳裏に浮かんだのは事実である。これを読むくらいなら、藤子不二雄のSF短編集のほうが遥かにオススメ。

(評価:★5)

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