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[コメント] 蒲田行進曲(1982/日)

「映画を作る世界」を描いた映画であるならば、この「映画を作る世界」を作る映画を作る世界にもヤスさんはいるんでしょうか。。いなかったら・・
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を作る世界にもヤスさんはいたんでしょうか・・

階段のシーンがそんなに凄いことなのかよくわからなかった・・ まず「階段落ち自体」の大変さがよくわからなかったのと、 どんなに「作品の中」で階段落ちが大変かを言われても、 その「作品」を作る世界」では 実際映像で見せてるわけで、つまりやっちゃっているわけで、 そしてその映像の「あっけなさ」に、 作品の中では凄いとか言われてるけど、 実際たいしたことないんじゃんと思った。 努力しているのかもしれないけど、 それが表には見えない

それはたいしたことない映像に大変な努力が隠されている、 ということを見せるために敢えてそうしたんでしょうか、、 でもそしたら、その努力もあまり報われないもの、意味がないものになりそう・・ しかし、努力は結果ではなく、過程が重要だ、ということがいいたいんでしょうか・・でもそれは結局自己満足の世界で終わってしまう気がする。。 裏の世界でどれだけがんばりがあろうと、それが表に出ていないと意味がないんじゃないでしょうか。少なくとも映画の場合。 見る側からすると、裏の頑張りや努力を見るわけでもなく、その結果だけを 見るわけで、ある意味見る側からすると、その努力や頑張りは、その結果で出てない限り、どうでもよいものになるのではないでしょうか。

つまり努力をどれだけしようと、それに結果が出ないとどうしようもない。 そんな厳しい世界。

それとも、もし敢えてそうせず、あれがそそのまま、階段落ちって凄いだろう、 てことになるのならば、その凄さがあまり伝わってこないため、 その作品世界での努力もあまり意味のないものに変わってきそうな気がする。

つまり、一貫性が成り立たないということ? 「映画を作る世界」を描いた映画であるならば、 「作品世界」で不可能なものは、 「作品世界」を作る世界」でも不可能だし、大変なのは実際大変だし、 凄いのは実際凄いわけだから、「作品世界」と、「作品世界」を作る世界」 は一貫性がなければならないのではないでしょうか。 その一貫性が崩れたところには、「作品世界」の凄いとされていることが 凄いことではないように思えてきてしまうのではないでしょうか。。

時代背景が違ったりしたら、 別に一貫性持たなくてもいいんだろうけど、 同時代を描いているのだと思うので、 どうもなあ・・

それなりに感動はしたし、後味も良かったんだけど、 そこらへんが気になった。 過剰な演技は面白かった。

(評価:★3)

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