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[コメント] チョコレート(2001/米)

ガキが見るべき映画じゃありませんでした、すみません。 2002年9月16日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







セックスでしか心の隙間を埋められないのか、自分はレティシアのことを愛しているという幻想を抱くために、金を渡し、車を譲り、店の名前を変え、親父を施設に追い出す。

そしてレティシアとのセックスで彼(=ハンク)は心の隙間を埋めている。

同じように夫の死刑に家を追い出され息子も死んだ。そんな心の隙間をハンクとの愛で満たしているのか?

果たしてあの二人は本当に、幸せに生きていけるのか?

結局人種差別主義者の彼は自分に「レティシアを愛している」と言い聞かせた所で、「たかが愛の代用品」。

息子が死ぬ間際に「それでも親父を愛してた」と言い死んだ心の隙間も、すべて埋まりきっていない。

レティシアだって同じように。

そしてハンクが最後に立ち会った死刑の、死刑囚がレティシアの夫であった。

その事実をしったハンクはさらに愛が深まった?

ただの同情じゃないか。

そういえば同情といえば・・『家なき子』で「同情するなら金をくれ!」ってあるし、『金髪の草原』では池脇千鶴扮する古代なりすが「同情と愛情は違うの?」という。

ハンクは同情するから金(=住み家、車、金)を提供し、そして「愛情」と自分に言い聞かせるものの、それは「同情」であると気付かずにレティシアを愛しつづけている。

彼に『シッピング・ニュース』のように心の傷が癒える時が来るのだろうか?恐らく来ないだろう。

人種差別主義者が突然黒人の女性を愛する?

ただ不幸な自分に親切にしてもらって、失意のどん底で白人にも関わらず自分にとても優しくしてもらっている男を愛しているのか?

ここに描かれていたのは愛ではなくただの同情。キャッチコピーどおり「たかが愛の代用品」

彼らは「同情」を「愛」だと思い、「同情」で金やら財産を提供して、または提供されたことによって心の隙間を埋められていっている気がするだけ。

ラストシーンで全てをしったレティシアはどう思ったのか?

「今迄自分に与えられたものは愛ではなく同情・・・。今までのセックスも同情。」とでも思ったのか?

あの二人がこれからどうなるのか・・・・。

あーあ・・・なんでこんな映画見ちゃったんだろう・・・。

そういえばこの映画の音楽ってもの凄い静か。と、考えるとこの映画自体もの凄い静かな作品だった・・・。

静かな作品に静かな音楽が流れ込む。二人の失意のどん底までも音楽が盛り上げちゃってるのかな?

音楽・・・4☆☆☆☆

総合・・・4

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Sungoo[*] Linus[*]

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