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[コメント] バニラ・スカイ(2001/米)

人間は何ゆえに「現実」を求めるのだろう。
noodles

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







思うにこの映画のデヴィッドのように、自分の理想通りに事が進む仮想現実の世界で 永遠に暮らすか、あるいは現実の世界にて暮らすか、の二者択一を迫られたら、おそらく、ほとんどの人間は現実に戻ることを望むだろう。人間というのは自分が確かにこの世界に存在した証を残したがるものである。 仮想現実というのが所詮は夢であり「自己」の消失とともに「世界」そのものが消えてしまうのでは意味がない。仮想現実が本当に「永遠」であるならば話は別だがそれが何者かに造られたものである以上永遠ということはあり得ない。よって世界が仮想現実だと気付いた瞬間その人間は現実を望まざるを得ないだろう。

しかし「現実」とは非常にあやふやなものである。例えば今この世界が誰か(または自分自身)に造られた仮想現実ではないかと思っても確認する方法はない。また、世界は3秒前に創られたといわれても確認する方法はない。自分が「現実」を確認する「感覚」とは脳みそを走る電気信号でしかなく、自分の「過去」とは「記憶」でしかないからだ。

だからこういう事を考えること自体不毛なわけだが、こういう考えは宗教を失った人間の一つの「死」に対する言い訳ではないかと思う。科学の発達により「死後の世界」、「魂」の存在を失った人間は「死」に対する納得できる逃げ道として「仮想現実」を造ったのではないか。

というよりこの「現実」および「世界」に関する議論は仏教や哲学の世界で昔から延々とくり返されてきたわけで、それを今もっとも分かりやすく説明できるのが「仮想現実」であるというだけかもしれない。

う〜ん、いまいち映画の感想じゃないなあこれ……。

(評価:★4)

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