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[コメント] 機動戦士ガンダム II 哀・戦士編(1981/日)

逃避と復権
Orpheus

**ネタバレ注意**
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端的に言ってしまえば、この総集編はジューシーな分厚い肉(TVシリーズ)を味わった客に、切り刻んで乾いたサイコロステーキの欠片を出すような「やっつけ仕事」でしかない。それでも、ブラックな環境(ホワイトベース)から逃げ出した青二才のアムロ(ブライトに謝ってもらいたいだけで本気ではない職場放棄にすぎないことは、すぐに戻れるガンダムを持ち出したことから察しがつく)による、「ニューシネマ気取りのロボット西部劇」の体裁だけはどうにか整っていたように思う。

もし仮にこの総集編を再構築するのであれば、砂混じりの風にマントをばたつかせながら砂漠で蹲るアムロの姿から始めて、そこに至る挫折と失意をアムロの視点から反芻させつつ、敵将ランバ・ラルとの邂逅にもっと多くの尺を割きたいところだ(待遇の悪さや戦闘に駆り出されることに嫌気がさしていたアムロの眼に、ハモンや兵士から慕われているラルは、敵将ながらさぞ魅力的な「理想の男」に見えたに違いない。それはアムロの周囲にはいなかった、多くの修羅場をくぐり抜けてきた「大人の男」が有する余裕から来るもので、今のアムロには眩しすぎるロールモデルだ)。そして、マチルダとミハルのエピソードももっと強調すべきだろう(前者はニュータイプ部隊を「囮の駒」として利用する地球連邦軍の中ではめずらしく献身的・協力的な「兵站を重んじる、ロジカルな女性士官」であり、後者は戦争のために敵と内通せざるを得なかった「情の深い、不器用な母親」だが、その境遇は対照的で、どちらも初代ガンダムにおける物語の重層化に欠かせないキャラクターだ)。特にマチルダはアムロの承認欲求を満たして意欲を回復させるとともに、「諦めずに模索し続ける姿」を我が身をもって見せる――それは本来、父親のテム・レイが自身の背中を見せてアムロに学ばせるべきものだったが――マチルダこそ「アムロの師」と言ってもよい存在であり、その悲劇的な死を海上で弔い送る場面をもって『哀・戦士編』の幕を閉じる形でもよかったのではないか、と思う。

木馬に復帰したとはいえ、ニュータイプと呼ばれ、集団の中で孤立を深めていくアムロの暗い旅路はまだこれからだ。密林のジャブロー、そして再び宇宙(そら)へ。安住の地はどこにあるのか。

追記:安彦良和総監督による『機動戦士ガンダム THE ORIGIN「シャア・セイラ編」』(2015-2018、アニメーション版 全6章)でラルやハモンなどジオン公国側のバックグラウンドが深掘りされており、その鑑賞後に初代ガンダム(TVシリーズ)を見返すと様々な再発見があって楽しめるので(特にファーストで育った世代には)オススメしたい。

(評価:★2)

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