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[コメント] 名誉と栄光のためでなく(1966/米)

ホモソーシャルを描くなら、やっぱり戦争が一番しっくりくる。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 日本以上にいろいろあって、フランス人が行った戦争というのはあまり映画にならない。特に第二次世界大戦を扱う場合、ドイツに占領され、枢軸側として戦った経緯があるためにとてもデリケートな問題になってしまい、ほぼ映画には出来ないのが現状。『パリは燃えているか』(1966)など、舞台そのものがフランス国内の戦争映画はいくつかあるものの、全て基本的な目線は連合国であり、フランス人が主軸になった戦争映画はなかなか作られないのが現状である。

 そんな中で作られた本作は、第二次世界大戦ではなく、その後のインドシナ戦争とアルジェリア戦争を舞台としている。そのどちらもフランスは植民地を失うこととなったために敗北とも言えるが、それでもまだ第二次世界大戦を描くよりはダメージが少ないために作れた作品なのだろう。

 ただ、そこで単純に戦いを描くのではなく、戦争の中に人権問題や自由恋愛やらを混ぜ込むのがこの時代のフランス映画の面白いところで、物語そのものよりも、そう言った部分について考えさせてくれる。

 本作ではラスペギーとエスクラビエという二人の軍人の対立が主軸となるのだが、二人とも戦闘においてはプロフェッショナルで、お互いの息もぴったり合い、二人が一緒だからこそ、数々の戦いも生き残れてきた。普通に考えれば、そのままこの二人は“親友”となるのだが、実生活においては全く異なり、接触する部分がない。いや、接触しようものなら反発するだけになってしまう。

 この点は上官によって意志が押しつぶされてしまう兵士を描いてばかりの日本映画とは随分異なっていて、それが本作の魅力となる。だから本作は戦争映画としてのみならず、イデオロギッシュなヒューマンドラマとしてこそ観るべき作品と言えるだろう。

 しかし戦闘だけで結ばれる歪な関係は、やがて破綻を迎えることになる。ドラマを盛り上げるためにイデオロギーではなく恋愛が元になっているが、いずれにせよ早晩この関係は崩れていっただろう。

 結果として、小さな町でのテロリストは撲滅され、戦争のプロフェッショナルは修復不能なものとなってしまう。

 なんともやるせない終わり方で、すっきりしないものだが、しかしだからこそ、本作は戦争というものについて強い印象を残してくれる作品なのだ。

(評価:★4)

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