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[コメント] 群衆(1941/米)

日本のサスペンスドラマで崖が登場するのは、ここからの孫引用ではないかと私は睨んでいます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 キャプラ作品は実に数多くの映画で引用がなされているが、その内、最も引用率が高いのが本作と思われる。

 引用が多い理由として考えられるのは、現代にも通じるマスコミの威力とその怖さに対して警鐘が鳴らされていた事が挙げられよう。実際マスコミによって作られた虚像と実際の人間の差と言うのは昔からあったのだと思わされる。特に現代のネットの発達はメディアと受け取り側の距離が更に微妙なものになった、はっきり言って気持ち悪い状況なので、むしろ今こそ本作の意味合いが増しているのでは無かろうか?(とは言え、そう言うのを消費して楽しんでる自分も一方ではいるんだけど)。

 ただ一方、それだけではないだろうって気もする。メディアと現実生活の乖離と言えば、同じキャプラ作品で、これ又引用の多い『オペラハット』(1936)もあるのだが、本作の場合は底抜けな明るさではなく、どこかシニカルなダークさに覆われていると言う点が大きいのでは無かろうか。そんな中で人間の良心を信じる。と言うファンタジーの部分が受け入れられたからだと思われる。主人公のジョンは巨像と自分自身の間で悩み続け、ついには巨像の方に押しつぶされてしまう。だが最後に彼を救ったのは、他でもない。「群衆」だったのだ。受け取る側の良心というものを最後に信じさせる出来に仕上がったのが大きい。本当にそんな良心があるとは思えないんだけど、そう思わせたところがキャプラの実力って奴なんだろう。改めて思うと、このシンプルな邦題は見事に作品を言い表してもいる。

 ちなみにこの1941年はもう一つ、新聞を題材にした傑作『市民ケーン』が公開されているのだが、見事に対比的。こちらは見事にアメリカン・デモクラシーを歌い上げている。  完成度の面で言っても、私は『市民ケーン』よりはこっちの方が好きなんだけど、ただ、メディアと群衆の関係という意味ではリアリティがあったのは、やはり『市民ケーン』の方だったな。

(評価:★4)

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