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[コメント] ジャンゴ 繋がれざる者(2012/米)

ぼくのかんがえたさいこうのせいぶげき。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 毎回違ったジャンルを題材にして映画を作り続けているタランティーノ監督が、今回選んだ題材は西部劇。毎回多彩なジャンルを作り、しかも一つ一つが面白いと言うのがこの監督の素晴らしいところ。

 そう言えば、『キル・ビル VOL.1』以来、この人ジャンル映画を相当意識してないか?『キル・ビル VOL.1』はチャンバラだったし、『キル・ビル VOL.2』はカンフー映画、前作『イングロリアス・バスターズ』は戦争映画。そして今回は西部劇。毎回違ったジャンルに挑戦している訳だ。とても多彩な才能を持っていると思うのだが、少し考えてみると、これは別段“挑戦”ではないのかもしれない。

 普通挑戦というのは、自分の実力以上を試す難しい素材に向かっていくことを示すのだと思うのだが、タランティーノの場合、これらの映画は全て自分の中にあるものを表現するために作ってるように思える。要するに、自分の作りたいものを莫大な金を遣って作ってみましたと言った感じ。言うなれば、彼の作ろうとしているのは文学(literature)ではなく、雑誌(pulp)の方で、受けるためにではなく、単に自分が大好きだからこれを作ってるように思える。

 タランティーノは自らも認める映画小僧だが、その志向するのは、いわゆるハリウッドメジャーではなく、B級と言われるものか、あるいは海外で作られたかなり過激な作品ばかり。実際彼の尊敬する監督の大半はアメリカ国外の人だ(日本でも深作欣二や三隅研次など、キレと残酷描写が映える監督を尊敬していると本人もはっきり言っている)。

 だから当然タランティーノの好きな西部劇と言えばマカロニに他ならない。タイトルだけでもそれははっきりと伝わってくる。そもそも“ジャンゴ”なる名称はマカロニで使用される記号のようなもので、“誰でもない”もしくは“誰でも良い”と言った個性を持ったキャラ。そして“ジャンゴ”という名前が登場する場合、相当に過激な作品が多くなる。本人も「これは相当に過激な作品ですよ」という先入観を持たせるためにこの名称を使ったのだろう。

 そしてこの作品、タランティーノのマカロニ好きを徹底して出している。いや、タランティーノの好きな所を出し惜しみ無く全部投入したというべきか。この作品にオリジナリティはほとんど無い。ほとんど全編“どこかで観た”作品からの引用ばかりだ。しかし、その引用が全て高水準にまとまっていて、全然ツギハギだらけという印象を受けない。好きなものを全部放り込みつつも、ちゃんとストーリー的にまとめ、見せるべき所をびしっと見せてくれる。コラージュのまとめ方が本当に天才的な監督と言えよう。  かつて私自身、『イングロリアス・バスターズ』のレビューで「スピルバーグが作ろうとしているのは幕の内弁当で、タランティーノが作ろうとしているのは、肉と飯以外全く入ってない焼き肉弁当のようなもの」と過去に書いたけど、本当に肉だらけでゲップが出そうな弁当を目の前に出されたような気分になった。企画から脚本、そして撮影に至るまで本当に楽しかったんだろうなあ、と、それだけははっきりと伝わってくる。だから観ているこちら側もとても楽しい気分になる。こう言うのを作ってくれるからこの監督は大好きだ。

 作品のファーマットとしてマカロニを選び、そしてそれを徹底して楽しく作る。この姿勢にぶれは全く感じられないのだが、この作品でちょっと気になるところはある。  それは他でもない。人種差別の描写について。

 この作品が公開される前、スパイク・リー監督が「あまりにも先祖に失礼なので、同作を見ることさえできない」と発言して物議を醸したのだが、実際この作品での“白人”対“黒人”の描き方はかなり極端だ。

 差別思想のないキングによって仲間とされたジャンゴだが、彼はこれまでの鬱憤を晴らすかのように「白人を殺す事は快感だ」と劇中で言わせているし、ジャンゴが黒人であると言うだけの理由で忌み嫌う人々も登場。レイシストであることを隠さないディカプリオ演じるカルビンは悪の親玉みたいな存在。カルビンに関係する一族郎党はジャンゴによって皆殺しにされ、ラストシーンはあたかも正義を行ったかのような満足げなジャンゴの顔で終わる。

 つまり、ここで描かれる民族差別は人間的な部分が全く描かれてない。黒人を差別する白人は悪いし、それを粛正するのは正しい行為であると受け取られがちになる。確かにこれまでアフリカ系のアイデンティティと、差別はあるものとして、それでも民族の歩み寄りを主張していたリー監督に言わせれば、本作は噴飯ものであることも理解できる。

 実際、私自身もその描写には気持ち悪ささえ覚えたくらいだから。

 その中でもカルビンの描写がちょっと気になる。カルビンは確かにレイシストではあるが、本当にそんなに悪い人間だったんだろうか?キングとジャンゴに騙されたと知った時、彼らを殺すという選択をしなかったし、それどころかちゃんと代金だけきっちりとを受け取ってブルームヒルダをジャンゴに返してもいるし、最後まできっちり商人として二人に対応している。思想はともかくとして、彼は悪人からはほど遠い存在でもある。それで一族郎党皆殺しの憂き目に遭うほどのキャラとは到底思えないんだよな。人種闘争を主題にしたとしても極端すぎる。

 確かにタランティーノ監督はレイシストとは対極にある人だが、その考えに人種闘争があるとは思えない。それでこの描写を敢えてしたという理由を考えてみると、その結論は“これが面白いから”という事だけなんじゃないか?と思えてしまう。

 数多くの映画を観てきたタランティーノは、西部劇における人種差別が一つの主題であったことをよく知っているはず。実際、あのフォードだって、後半の監督作品は、これまでの自分自身のやってきたことを否定するかのような人種問題を主題にすることが多くなった。それを知った上で、敢えてその本来主題として捉えられていた人種問題を、映画のスパイスとして用いる事に決めたのだろう。挑戦的と言えば挑戦的。しかし、一方でこれは“面白さ”だけを至上課題として、他のことを全部切り捨てた物語と言われても仕方のない所。

 今更言う必要もないことかも知れないけど、タランティーノは、本当に映画小僧がそのまま大人になってしまった人物であり、テーマ性やら映画の意味合いなどという“大人の事情”を一切無視して、ただ面白いものを作ろうとしている監督なのだろう。

 それはそれで立派すぎる立場だ。ちょっと腹が立つ部分もあるにせよ。

(評価:★4)

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