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[コメント] ルードウィヒ 神々の黄昏(1972/独=仏=伊)

ルードヴィヒってのは、まるでネットで叩かれて引退してしまう現代人のようです。繊細すぎたのですね。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 実は私はヴィスコンティ監督とはあまり相性が良くない。特に後期の耽美的描写はどうにも合わないところを感じてしまう。本作も同性愛者として知られるルードヴィヒ2世が主題とのことで、長らく観るのを遠慮していたのだが、一方ではこういった歴史大作が大好きでもあり。事実一旦観たら、これが見事にはまる。本当に面白かった。

 ルードヴィヒ2世は“狂王”とも言われ、特に死の直前までの奇行はよく知られている。リヒャルト=ワーグナーに対する過剰な援助。中世騎士道の復興を目指して中世建築のままの華麗なノイシュヴァンシュタイン城(最もよく知られる城の一つで、ディズニーのシンボルマークもこれが参考にされている)を始めとする数々の城の建築。地下宮殿を建設し、昼夜逆転の生活。同性愛を公言。等々。

 だがヴィスコンティ監督の考えるルードヴィヒ2世像とは、一般に言われる暴君ではなく、むしろ繊細すぎる精神を持ってしまったために、人々の中傷に耐えられず、余計に奇行に走ってしまう人物として描かれている。繊細で傷つけられやすいがために過剰防衛を起こして人を傷つけるという、いわば天才肌の人物として描かれているのが特徴だろう。そう言えばエイゼンシュテインも『イワン雷帝』(1944)で雷帝を同じような性格として描いていたが、ルードヴィヒ2世とはイワンほどの開き直り方が出来なかった人物なんじゃないだろうか?

 特に本作の場合、志し高く、真剣に国民のためを思って即位したはずが、現実に直面することであっけなく夢破れ、その現実に耐えられなくなっていくことを丁寧に丁寧に描くことで、いかにして“狂王”となるに至ったかを細かく描いてくれている。繊細だからこそ、人の小さな噂にも耐えられない。ルードヴィヒ自身の同性愛傾向も、この作品では叶わぬ恋心が歪んだ形で出てきたって事になっているため、さほど拒否感を感じることも無し。むしろそう言った耽美的描写もルードヴィヒの孤独ぶりを示すために用いられているようだ。繊細なヘルムート=バーガーが実に映える。

 しかし、本作の一番の売りはヴィスコンティらしい美術的センスに溢れているって事だろう。元より貴族出身で本物の芸術を知っているだけにヴィスコンティ監督の美的感覚は卓越したものがあるが、特に本作ではルードヴィヒ自身を芸術家に仕立てることによって、その美術的演出は特に映える。現代の目から見ると、一見成金か嫌味とさえ見える城の装飾品の数々。これがまるでルードヴィヒの歪んだ美意識によってなされたもののように見えてしまう不思議。本当に見事にはまっていた。最後の地下宮殿の描写など、不気味な美しさがあって、見事な映え具合。

 ただ一つ残念なのは、この題材だったらイタリア人でなくドイツ人監督にやってほしかった。オーストリアが舞台なのに、全部イタリア語でやられてしまうとなあ。ところで本作の一舞台となっているのが普墺戦争なのだが、これは『夏の嵐』(1954)の舞台でもある。ヴィスコンティはこの時代のドイツに何らかの思い入れがあるんだろうか?

 本作制作はヴィスコンティに大きなストレスを与えたらしく、撮影中に心臓病で倒れてしまい、この後2作しか作品を残すことは出来なかった。

(評価:★5)

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