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[コメント] 若者のすべて(1960/仏=伊)

思いやりと身勝手
ルミちゃん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







母親と兄弟4人は長男を頼って、正確に言えば長男の結婚相手の家を頼って、ミラノにやって来たのだけれど、でも一家揃って越してくるとは連絡してなかったみたい.これはどのように考えても身勝手.一家の身勝手からこの映画は始まっている.

長男ヴィンチェンツォ.と、その恋人の会話から.「好きな相手をものにする」とは、この場合男の身勝手な考え方.「親はどうでも、私の承諾はいるわよ」恋人はこう言い放つのね.

次男シモーネ.食事に行く約束を反故にして女とすたすたと道を行く.弟の給料を前借りさせる.「おまえはおれの女だ」と言い放ち強姦する.この男の身勝手は切りがない.

三男ロッコ.映画の問題提起はロッコの思いやりの方にあると言わなければなりません.一般的に言えば「身勝手」は悪、「思いやり」が善と受け取られがちなのですが、決して単純に言いきれはしないのだと、ロッコを通して描いています. 彼は兄に自分の恋人を譲る.「兄を救って欲しい」こう言うのですが、言われた女にしてみれば、なぜ自分が嫌いな男に尽さなければならないのか、まして、自分が本当に好きな相手からそのように頼まれるとは.これは兄に対する思いやりではなく(かも知れなくても)、女のたいする身勝手以外の何物でもありません.この事実が、結果として悲劇を引き起こすことになりました.正しくない思いやりは、実は身勝手に過ぎない、あるいは身勝手な思い込みに過ぎないのですね.

四男チーロ.もう一度、身勝手に戻ります.お祭りの見物でしたっけ、恋人の父親がトラックで娘を迎えに来た場面.「今、キスしたい」、「ここで」、と恋人は少し躊躇ったけれど、でも応じました.人前でいきなりキスしたいという.身勝手と言えば身勝手かもしれないけれど、相手次第です.

「今すぐでもいいけれど、やはり明日にしよう.駆け落ちする時間を残しておこう」別れ際、恋人の父親はこう言いました.「結婚の話をしようと思っているのだけど、もし自分達両親を気に入らないなら、娘を連れて二人だけで暮らせばいい」、と言っているのですね.父親の思いやりと同時に、駆け落ちは男女の身勝手な行為かもしれないけれど、なにも悪いことではないと言えます.好き合った男女が一緒に暮らすことは二人の勝手、他人がどうのこうの言うことではない、身勝手でもなんでもないのね.

家族の崩壊を描いている、との見方があるようですが、私は真っ向から否定しておきます.だいたいが家族全員が一つ屋根の下で暮らすことの方がおかしいのでは.成人すれば、一定の年齢に達すれば、結婚すれば皆が皆、自分の道を歩んで行くのが自然であり、好き合った男女が一緒に暮らすことが家族の単位であるはずです.結婚するにしたがって兄弟が散って行くのは当然のことでしょう.

身勝手は、家族の信頼関係を引き裂き、正しい思いやりは信頼を生む.四男チーロが末の弟に、「いつか分かるときが来ると思うけれど」と理解を求めたのですが、その話の内容は、兄弟一人一人に対する彼なりの正しい理解にもとずく、思いやりが含まれていたと言えます.(理解に思いやりが含まれるけれど、思いやりに理解は含まれない)

(評価:★5)

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