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[コメント] ルードウィヒ 神々の黄昏(1972/独=仏=伊)

自由
ルミちゃん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







旋律として描かれるのは思いやりと身勝手、この点では若者のすべてと共通しています.若者のすべてでは思いやりの違いを、理解から派生した思いやりと同情の違いを描いていましたが、この作品では身勝手の方の違いを、正確に言えば自由、それが二つの意味を持ち、一つには身勝手であり、一つには束縛しないことであるのを描いています.

束縛と身勝手. 王位に君臨することは従者を自分に服従させること.つまり従者を束縛することに他なりません.そして彼が何をやったかと言えば、ワーグナーに湯水のように金をつぎ込み、お城の建設にもやはり湯水のようにお金を使いました.ルートヴィヒの王としてのこれらの行為は身勝手と言わなければなりません.

彼は王の座にしがみつき自分の人生を束縛しました.そして一人の女を、エリーザベトだけを愛し続けようとした、一見正しいことに見えるこの事実も、実は自分の人生を束縛してきたにすぎませんでした.ソフィーとの婚約解消はソフィーの自分への愛が正しいものであることを知ったが為.ソフィーが自分を愛しているならば、なおさらに自分はエリーザベトを愛し続けて行くべき、これが彼の考えだったのでしょうか.一緒になることを諦めつつも愛し続けた.彼女が訪ねてきたとき彼は会おうとはしなかった、会いたかったのに我慢して耐えてしまったのですが、これも自分自身に対する束縛に他なりません.

自由と思いやり. 正しい思いやりとして、幼い頃からの友人でもある大佐を上げておきましょう. エリーザベトは結婚生活に束縛されることなく、自由に旅を続ける生活を選びました.それは誰からも束縛を受けるものでなければ、誰をも束縛するものではありません.正しく自由な生き方と言えます.そしてその対象はルートヴィヒも同じであったのです.

さてラストシーン.ルートヴィヒは教授の思いやりから夜の散歩が許されました.しかし、その教授を殺して自殺したルートヴィヒの行為は身勝手であり、同時に規則正しい生活を強いられる軟禁状態の束縛から逃れたのです.自由とはある意味では身勝手であり、ある意味では束縛されないこと、二つの意味合いが一つの結末で同時に表現されている、それがこの映画であり、間違った形で自由を求めた結末は、正しい自由とは如何なるものなのかを示しています.

(評価:★5)

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