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[コメント] 劇場版 空の境界 第五章 矛盾螺旋(2008/日)

1: 未来は自分の意志で作れるか。 2: 未来の福音と自由意志。 3: 空の境界というタイトルと作品のテーマについて
寛田宗純

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







* 『未来福音』(2013)まで包括したレビューです。

1: 未来は自分の意志で作れるか。

本作のテーマの一つが 「未来は自分の意志で作れるか」です。 2人のキャラクターが主題に則って対照的に描かれています。

・『AKIRA』と「アラヤ」の比較

荒耶 宗蓮は世界への絶望が行動の動機です。 絶望とは負い目であり 満たされないものです。 それを原動力に根源を目指しても根源に到達することはできません。

満たされないのものを満たしても穴が埋まるだけだからです。 それ以上のものを得ることはできません。

AKIRA』における鉄雄と同じです。 彼は自分の意識をコントロールするために薬を使いました。

アラヤが自身の存在理由を保つために根源への到達を目的にしたのと同様です。

その後 鉄雄は薬を止めて根源に到達します。 しかし 根源‐「空」は自身を映す鏡であり 自身そのものなので、 鉄雄の中にある孤独に取り込まれます。

アラヤに話を戻すと 彼の目的の動機は絶望を確認することです。 したがって たとえ「空」に至っても絶望が見えるだけです。 鉄雄で言えば満たされない気持ちを解放して自身が絶望に取り込まれる状態です。

彼は自分で未来を限定しています。 「人は救えない」という絶望に自らを導いています。

・ 黒桐 幹也には「自分の感情」がない。

正確には「自分のための自分の意志」が小さく 「相手のための自分の意志」を信じて行動しています。

たとえば『未来福音』で式と一緒にいると死ぬと予言されても内容を追求しませんでした 自分の意志がブレるのを回避してのことです。 相手を信じることができる自分の意志です。

「相手のため」ですが たとえば7章で式が人を殺すのを許さないのは式のためです。 しかし信じているのは式の意志ではなく自分の意志です。 だから式が白純を殺しても許します。

彼は式をどこまでも信じています。 でもなぜ他人を信じ他人のために行動できるのでしょうか。 彼の起源が「ふつう」だからです。

ふつうとは何でしょうか。 自分の意識がニュートラルな状態にあることです。 大きすぎることも小さすぎることもなく 見ているものを見ている分だけ受け取る事です

終章』(2010)で第3の両儀式に問われても根源の力を使わなかったのは 日常が日常であることに満足しているからです。 しかし 目の前で死にそうな人がいたら 助けてほしいと願うでしょう。 人として「ふつうの感情」だからです。

「相手のため」とは何でしょうか。 自分の感情で余計なものを付け加えないことです。 つまり 他者の思いをそのまま受け止めることです。 それは意識が空っぽな彼だからできることです。

だから彼は式の心を開くことができました。 式の苦しみを自分の事として受け止め 彼女の中にある「未来」を自分の意志で信じたからです。

2: 未来の福音と自由意志。

結論です。未来は自分の意志で作ることができます。

しかし その意志が自分のためであるか。他者のためであるか。 言い換えれば、どれだけ「ふつう」でいられるか。 それによって未来は変わります。

そして たとえ自分の望む未来でなかったとしても悲しむことはありません。 その意志は『矛盾螺旋』で臙条 巴から両儀 式に また『未来福音』で両儀 織から両儀 式に受け継がれました。

しかし結果が大事なのではありません。 相手のために相手が望む未来を望む自分の意志を信じたことが「福音」です。

信じた者にとって未来には 「約束された救い」=福音があるからです。 人生を終える時に未練がないからです。信じた事実が残るからです。

人が生きる意味を切なくでも暖かく気付かせてくれる作品です。

3: 空の境界というタイトルと作品のテーマについて。

読みは空(から)ですが むしろ空(くう)と読んだ方が作品のテーマを理解しやすいかもしれません。

空(くう)とは仏教の言葉で 意味は「全てであって全てでない」「何ものでもあって何ものでもない」といったニュアンスです。

(私は悟っていないので空の意味を断定することに抵抗がありますが 便宜上書きます。)

空(から)と読むと、「無」「虚無」といった否定的な性格を言葉に与えることにな りますが 「空」に性質を当てはめているのは人間です。 荒耶は世界(≒空)を否定的に捉え 倉密 メルカは消極的に否定し 黒桐はありのままに受け止めています。

もちろん ありのままに認めるとは言っても 感じるものは感じています。 2章で死にたくない時は死にたくないと言うし 好き嫌いもあります。

しかし それ以上のものはありません。 彼はどこまでも式に寄り添い 彼女の中にある優しさを信じ 彼女の心を開きました。

空の境界の表テーマは「人の可能性を信じる」です。 色眼鏡をかけて人や世界を見るのではなく その通りに見るということです。 裏テーマは「自分の意志を信じる」です。 その強さは誰かのためのものだから強いのです。

◎テーマ。 ◎キャラクター。 ◎背景美術。

* 小書き

「阿頼耶識 -アラヤ識」という仏教用語が五章で出てくるので 空(くう)についても奈須さん自身で咀嚼された上で物語を作っていると思います。

(評価:★5)

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